チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ハリプンチャイ王国

ハリプンチャイ時代の仏頭

同上

王族の一人と言われる

ハリプンチャイ後のランナー仏、素朴だが・・・・

王国時代の城壁と堀が残る

敵国の侵入を防いだ城壁の一部

 

ハリプンチャイ王国

■滅亡した王国
5月にランパン、ランプンとハリプンチャイ王国ゆかりの地を旅した。ランプンには王国の首都が、ランパンには副都が置かれていた。ハリプンチャイ王国は今は少数民族として東南アジアに散らばるモン族が建てた国である。

モン族は紀元前1500年頃には東南アジアに到達していたとされ、現在の東南アジアの少数民族としてはネグリト(オーストラロイド)のマニ族などに次いで古い民族と考えられている。伝説では、紀元前300年ごろ現在のスパンブリー県周辺にスワンナプーム王国を建国し、紀元前200年ごろにはアショーカ王の遣わした伝道者により上座部仏教を信仰し始めた。しかし、モン族はそれ以前から海路による仏教との接触があったと主張する。4世紀ごろワット・プラパトムチェーディーが建設された。6世紀ごろから11世紀ごろまで東南アジアで繁栄したスワンナプーム王国は、モン文字などを開発し先住の文明民族として東南アジアに君臨した。(以上ウィキより)

戦後、モン族独自の王国を建てようという運動がミャンマーであったが、ミャンマー政府に潰されている。タイでは、同じ上座部仏教を信仰する平地民族であることから同化する傾向が激しく、タイ王国では多くのモン族がタイ人となっている。

国立博物館
ハリプンチャイ国立博物館には8世紀から13世紀のハリプンチャイ王国時代の青銅仏、テラコッタ、更にハリプンチャイ王国を亡ぼしてこの地に君臨したランナー王国時代の遺物が納められている。注目すべきは約千年前に鋳造された青銅の仏頭だろう。繊細さと優美さがあり、東北インドのパーラ王国の影響を受けているらしい。のちのランナー仏は素朴ではあるが、美術的にはハリプンチャイの仏頭に比べ、かなり劣るように感じられた。

博物館は1階、2階、別館と3室ある。訪問した日は休日であったせいか、ボランティアの女子高生が何人もいて、言葉は通じないが館内の見るべき場所を案内してくれた。うっかりすると2階の主展示室だけで見て帰ったかもしれず、お嬢さんの好意には感謝している。

1階は石碑の展示ホールとなっていて全部で35の石碑が展示されている。内7つが古代モン語の碑文であり、残り28がランナー語の碑文となっている。この古代モン語碑文は古いもので西暦11世紀~12世紀のものという。ランナー語はタイ語とは全く違う言語で、碑文はランナー文字で書かれている。モン文字からランナー文字、タイ文字が作られたことを考えるとハリプンチャイ王国がタイにおける先進文化国家であったことがわかる。

博物館には先史時代、石器時代の遺物も展示されている。古代から人が住むによい土地であったようだ。ブレスレットや腕輪など装飾品と共に葬られた人骨が展示されていた。タイでは人骨にさほどの畏敬とか恐れを抱いていないようで、大概の博物館には先史時代の人骨が展示されている。邦人の訪問記には人骨はレプリカではないか、と書かれていたが、自分はホンモノだと思う。ある邦人が遺跡近くのお寺の展示室倉庫を案内された折、ある戸を開けてみたら骸骨が雪崩を打って崩れて落ちてきたという体験を書いていた。

日本なら古い骨が地中から出てきたら、ああ、我々のご先祖様だという感慨を持つと思うが、タイは異民族が出たり入ったりの歴史だから、何百年、何千年前の骨なんか正に「馬の骨」並みの扱いしか受けないと思う。

■長年、ジャングルの中で
ランプンはチェンマイから南へ26キロ下ったところにある小さな町である。チェンマイ観光のついでに訪れるべき古都、と言われる。
クワン川と城壁、環濠に囲まれたごく狭い旧市街の中にハリプンチャイ寺、国立博物館、市場などがコンパクトに纏まっている。寺と川の間に遊歩道があり、ここに縁日の屋台が並ぶ。お寺で有名なせいか門前町という感じがする。

博物館裏にあったジョムケウ・レジデンスというGHは1泊600B、部屋は広く天井が高い。庭も広く、とにかく静かである。古都であるから古い建築物と思われるかもしれないが、ランプンは16世紀以降、ビルマ支配下に置かれ、街は徹底的に破壊され、18世紀には全くの廃墟となり、ジャングルに被われていたらしい。カンボジアアンコール・ワットインドネシアのボロブドゥールも長年、密林の中に忘れ去られていた時代がある。タイにも、昔は人住まぬ廃墟だったという都市がいくつもある。

ビルマ軍が撤収した19世紀にになって隣のチェンマイの領主が、ビルマからタイ族を連れてきてランプンに入植させた。よって、ランプンにはモン族はいない。人骨が出てきても誰も興味を示さないわけだ。