チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

サマルカンド (4/4)

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サマルカンドへ行くその4
(ザラション川で泳いで機嫌がよくなる)

日本人は水があるとすぐ裸になって泳ぎだすという。あまり肌を人目にさらさない東南アジアでは、だから日本人は評判が悪いのだなどといわれている。しかし40度を超える気温の中にいると、もしそこに清流があったら浸かってみたいという気持ちになる。

川ですか、行きましょう、ええ、ええ、泳げます、とベク君が言う。朝、小型バスが来てベク君のお父さん、おじさん、親戚の子など8人を乗せて隣村のトウガイ村に行った。まずベク君のお父さんの友人イスマトゥルさんの家に寄る。最初の晩、ウオッカでへべれけになっていた人だ。ここでも座卓一杯のお菓子や果物でもてなされる。お父さんと何か話して大笑いしている。ベク君に、あの晩は酔っ払ってどうやって家に帰ったか覚えていない、といっているのだろうと聞いたら図星であった。大いに座が盛り上がる。

実はベク君の家に来て2日風呂に入っていない。乾燥した気候なので、ウ国の人は冬は1週間に1回、夏でも2回くらいしかシャワー、風呂に入らない。しかしいくら乾燥しているからといっても、遠路日本からの客にどうぞ、お風呂へ、といわないのは配慮に欠けるのではないか。だから水浴びしてほこりを落とせるならばと、この日の川遊びを楽しみにしていた。

イスマトゥルさんの案内で家から5分ほどのザラション川に行く。ザラション川はタジキスタンに源を発し、ナボイの砂漠に消える全長250キロ、アムダリア、シムダリアについでウ国3番目に長い川だ。途中、用水路があり、とうとうと水が流れている。イスマトゥルさんはここで立ち止まり、この運河は1947年に日本人抑留者が開削したものです、と教えてくれた。

川原に来てびっくり。川幅が200メートルくらいある。濁流が渦を巻いて流れている。よく台風の現場中継で「川は増水を続けており、付近の住民には退避勧告が出されております」といった川の状態なのだ。ベク君は今の時期、水量が多いですなどと暢気なものだ。これではとても泳げない。やはりベクは配慮に欠ける。タシケントに戻ったらクビにしようという考えが再び頭を掠める。人間が出来ていない。

一行は川をそのまま5分ほどさかのぼっていった。すると本流に流れ込む清流があるではないか。すでに地元の子供が2,3人泳いでいる。早速、大人も子供もパンツ1枚になって水に入る。湧き水からなっている清流は深さ30センチくらいだが、本流に流れ込む部分が深さ2メートルくらいのプールになっている。冷たくて気分は最高。クビの件は即、撤回する。3,40分、岩から飛び込んだり、いとこと競泳をやったり、体をごしごし洗ったりして身も心もさっぱりする。タオルを使わなくても、体は自然に乾く。

川べりをイスマトゥルさんと戻っていくと堤防のポプラ林の中に絨毯と座布団が敷かれていた。絨毯には料理が並んでいる。心づくしの昼食だ。早速、ビール、ウオッカの応酬が始まる。村のほうから何人もの女の子がお盆を下げて料理を運んでくる。木々を通して吹いてくる川風が爽やかだ。本当に天国。通りすがりの村人も宴会に加わる。和やかにジュースやビールで乾杯。そのうちタボローノという82歳になる村の古老が通りかかった。サラマレコン(こんにちわ)と握手をしたが、自分をウズベク人と信じ込んでいて、日本人と聞いてびっくりしている。さらにこちらの年を聞いてびっくり。どうみても42歳にしか見えないという。3歳以下の子供と80歳以上の老人はうそを言わないというから素直にその言葉に感謝する。

タボローノ老人に日本人抑留者のことを尋ねてみた。
「1947年から50年にかけて50名ほどの日本人がこの村に来て、運河を掘ってくれた。よく働いていたよ。あの頃はじゃがいもが今のように取れなくてなあ、大きな黒パンを持っていったら、それは喜んでくれたものさ。それ以来、あんたが初めてこのトウガイ村に来た日本人になるのう。ささ、飲みなされ、お若いの」当時の日本人に成り代わりまして、改めてお礼を申し上げます、と言ってウオッカを飲み干す。

こういった宴会ではスピーチがつきものだ。ベク君や村の人に促されて、一言のべる。古い日本を思い出させる田園地帯で、このような歓待を受け、お礼の言葉もない、タボローノ老人から日本人抑留者のお話をお伺いし、感動これにしくはない。この用水路に、そしてザラション川に水が流れる限り、ウ国、日本の友情の絆は決して途切れることはないであろう・・・云々。酔っていて、外国語だと歯の浮くようなセリフが次々と出てくる。今度来なさる時はもっと抑留者のことを思い出しておくから、という老人や村人の見送りを受けて村を後にした。水洗いしておいたTシャツがパリパリに乾いていた。
サマルカンド紀行終わり)

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