チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

棉摘み 1

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棉摘み その1

ウ国では9月15日から棉摘みが始まる。地方の高校生、大学生は学徒動員で農村へ棉の収穫作業に赴くのだ。ただし、首都タシケントの学生、生徒は原則として農村労働を免除されている。
棉はウ国の最重要輸出作物である。機械で収穫するところもあるが最終的には人手に頼らざるを得ない。農民はもちろん、児童、生徒、学生、地方都市ではマハッラごとに人数が割り当てられて棉畑へ行く。90年代は道路を走っている高速バスが官憲に停車を命じられ、乗客が全員棉畑へ連れて行かれて棉摘み、ということが普通に行われていたそうだが、今は政府もそれほどの無茶はやらない。

学生は学校ごとに農村へ入り、近くの小学校で寝泊りしながら2月近く棉摘み作業をする。ご存知の方がいるかもしれないが、棉の実には鋭いとげがある。不用意に触れると痛い思いをする。棉のふわふわした部分を一瞬で全部摘み取るにはコツがいる。摘む場所をまちがえると棉の一部が実に残ってしまう。でも初心者でも1,2週間すると農民と変わらなく収穫作業が出来るようになるそうだ。
9月1日から授業が始まるが、15日から11月初めまで農作業になるので地方の学生は都市部の学生に比べて勉強時間が少なくなる。少しでも勉強したい学生は、医者に頼んで「農作業に耐えられるほどの体力無し」という診断書を書いてもらって農村行きを免れる。もちろん、勉強したい学生ばかりでなく、単に農作業に行きたくないという学生もお金を払って診断書を手に入れる。
棉摘みには1kgに付き53スムの手当てが国から支払われる。一人のノルマは1日50キロだそうだ。だからノルマを達成すると1日2500スムほど支払われる。そのうちの半分が食費となる。残りはお小遣いということだ。
学生、生徒が日本の戦時中の勤労動員のようにまじめに働くと思ったら大間違いだ。多少お金のある学生は農民から棉を買って、ノルマとして先生に差し出す。あるいは直接先生にお金を包む。先生もわかっていて適当に帳面に本日の収穫として、ノルマの数字を記入しておく。誰も現物と帳面の突合せなどしない。また政府からこの村にはたとえば500トンという生産割当てが来るが、村当局は書類上で500トンという報告を中央に上げる。中国の経済成長率の計算と同じで中央が指示したらその数字かそれを少し上回る数字を下から上げてくるのと同じだ。

学生たちは結局働かず、棉畑で車座になって駄弁って一日を過ごす。そういった場所へ、出かけていって勉強を教える日本人教師の話を聞いたことがあるが、こういった話は美談に属する。

集団生活であるから野間宏の「真空地帯」のような陰湿ないじめ事件もある。年長の生徒が年少者を暴力で従わせる。牢名主になった生徒はノルマを家来の生徒に果たさせて、自分はさぼる。また学校同士の鞘当て、殺傷事件もよくある。昔、日本でも修学旅行の際、些細なことで高校生同士が乱闘したものだが、まさにこちらでは棉畑でナイフを振り回しての乱闘騒ぎが起こる。
力を背景にした学生集団は、農作業そっちのけで夜になるとディスコパーティを繰り広げる。先生も手出しできない。宿泊場所は別だが女子学生、女子生徒も農作業に駆り出されていて、自然とこういう場所に集まってくる。

「やっぱり、その、なんというか、マチガイなんてことは起こるんじゃろうねー、つまり棉摘みが終わって女の子の体に異変が起こって・・・」というおじさんの質問にベク君は、「あります」とプロフを口に運びながら断言した。「それはコットンベイビーと呼ばれるのか」といったらベク君は口の中のプロフを思わず噴き出してしまった。
妊娠した女性は堕胎してもずっと悪い評判がついて回り、処女性を重んじるイスラム国家ウ国では決して幸せな結婚は望めない。普通は村の金持ちの2号、3号夫人としてひっそりと暮らしていくことになるのだそうだ。

大義なき労働は堕落を生む。昨年豊作だったはずの棉花は、半年もたってから実は不作だったという噂が広がった。もちろん責任追及の声は上がらなかった。