棉摘みツアー2
思いがけず、いいプランが生徒から出てきた。でも一つ障害があった。カレッジの許可である。JICAには関係者に参加勧誘のメールを送ることやプランについて事前了解を得ていたが、学校側の正式な許可を得ていないことに気付いた。グループ48の企画の採用を決めた水曜にザイニディン学長のところに行った。学長と一緒に行った棉摘みがいかに楽しかったか、自分の友達がいかにうらやましく思ったか、の話から説き起こし、生徒の優秀なプランによる今回の「日本人と棉摘みに行こうツアー」開催の許可をお願いした。
見積をみながら、学長は何やら通訳のベクに長広舌を振るっている。なんだよ、楽しんでらっしゃい、の一言で話が済むと思ったのに、と思っていたら、ベクが大型バス1台で行くことは難しいと言っています、と深刻な顔をしている。学長の話はつまるところこういうことだった。先ごろ、ある学校の生徒が企画した無許可のサマルカンドバス旅行で、バスが谷底に転落し、54人の若者が死亡した、それで当局は大型バスによる学生の移動には神経を尖らせている。綿花は国家の重要産業であり、外人に余り知られたくない面があり、基本的にウズベキスタン木綿省の事前許可を必要とする、早く申し出てくれていれば、カレッジから木綿省に許可願いを出し、許可証をもらえたと思うが、今日が水曜で今度の日曜に行くとなればとてもこの手続きは間に合わない。大型バスが警察に臨検された場合、警察から木綿省に問い合わせが行き、許可をもらっていないことが判るとバスはそのまま来た道を引き返すことになる、とのこと。
しかしながら、小型バス分乗で、生徒もクラス全員30名ではなく20名に限定すれば、警官の臨検を受けても近くの病院に日本人とお見舞いに行く、位で話は済む。カレッジは知らなかったということにするからこういう条件で行って来て下さい、という話だった。研究室に戻るとベクが、ああ、早く学長に言って木綿省の許可をもらうべきでした、と頭を抱えている。ばっかじゃないの、学長はこの企画の中止を主張したわけではない、それどころかこうしたら行けるよ、と後押ししてくれたんじゃないか、起業に限らず、何かやろうとすれば、必ず何か問題は起こる、バスが3,4台になって当初の予算を上回るかもしれないが、それは金の問題にすぎないから、いかようにも解決がつく、別にこれでベク君が破産するわけでもなんでもないから心配するな、行けることを喜べ、と諭す。大体、先週に思いついた話で、どっちみち木綿省の許可取得手続きが間に合うはずもない。
問題は30名の生徒をどうやって20名に減らすかだ。リーダー格のウミダは、その人選は私にはとてもできません、と俯いていつもの元気が全然ない。くじびきかじゃんけんでもして決めるのか、と思っていたら、意外と簡単にこの問題は解決した。学生部長がクラス30名の成績表を取り出して、上から20番目のところで線を引き、バス旅行参加者を決めてくれたからである。ショートノーチスにも拘らず、「日本人と棉摘みに行こうツアー」は評判を呼んだようで自分の予想10名前後をはるかに越え、参加希望者は24名となった。この数は1年半後の任期終了時に開いてもらえる自分の送別会参加者よりもずっと多い、と思う。
木曜日にウミダ、ニゴーラ、ディルドーラの3人娘がやってきて、先生、先立つものを、と言うのでとりあえず、100ドル紙幣を渡した。何も違和感なく、ドル札を財布に収める。金曜日にまた3人娘にお金が足りないといわれて、持っていた50ドル札を渡した。前払い項目がどれだけあって、いくら必要なのかお互いの連絡不足でわからなかったが、基本的には前払いが多く、また生徒には立替余力がないということに早く気付くべきだったと思う。土曜には参加人数が増え、小型バスを1台増やしましたから、と3人娘に学校に呼び出され、研究室で10万スム渡す。3人は紙に数字を書いて相談していたが、先生、これでも少し・・・と難しい顔をする。またドル紙幣を渡す。ここ2,3日、この3人娘に50ドル、100ドルと召し上げられていく。別に何もしていないのだが、女子高生のカツアゲにあっているような変な気持ちになった。
続く
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