チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

今年も、棉摘みツアー(5)

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聞け、棉つみの声 その1
棉つみ挙行日は晴天。この国で遠足を企画して嬉しいことは天気の心配を全然しないですむことだ。ここ3ヶ月、全く雨を見ていない。ずっと晴天続きだ。待ち合わせ場所の地下鉄オイベック駅前には日本人34名が集結する。たった34名と言うなかれ、この数はタシケント在住の日本人の3分の1が終結したことになる。この割合でバンコクや上海で日本人が集まったらエラいことになる。ウズベク日本人会登録の在留邦人はわずか120数名。テレビを見ていたらミャンマーでさえ在留邦人600名、進出企業は60とか。ウズベクはやはり遠い国か。
先日インターナショナルスクーの呼びかけで17カ国30数チームが集い、国際親善ミニサッカー大会が開かれた。日本チームは選手がなかなか集まらず、サッカー経験のない自分にまで召集がかかった。とにかく絶対数が少ないのだ。60過ぎのSVまで投入してハーフ20分のサッカーを戦ったがイスラエルに0-7で負けた。イスラエルチームは大使館警備の軍人中心、その上、元プロサッカー選手がいたそうだ。

さて、バンクカレッジの生徒も日本人も揃ったが、学長が姿を見せない。現地でと言うことらしい。バス2台で総員60名出発、それぞれのバスにウズ生徒、日本人が半数ずつ乗る。これは生徒の発案でなるべくお互い打ち解けようと言う考えのようだ。協力隊員の中にはウズベク語が堪能な人もいるし、商社、大使館関係の人はロシア語で意思の疎通ができる。

バスはクイルックバザール、チルチック川を越して郊外へと行く。自分は主催者とみなに思われているが、今日どこに行くのか知らない。綿畑は学校側、つまり学長が指定したところである。生徒たちが打ち合わせてちゃんとしてくれるだろうと期待するしかない。実にいい加減、無責任な話で、参加者がこの実情を知ったらあきれて村八分にされるかもしれない。去年はタシケントから40分くらいのところにある棉畑であったが、今回は1時間以上走っても目的地に着かない。田舎道で突然止まったのでトイレ休憩かと思ったら、途を間違えたと言ってもとの途を引き返す。途中、赤ん坊を抱いた女性などを乗せる。バスが来ないところなのでヒッチハイクに応じているらしい。

1時間半かかって何とかチルチックの小学校に着いた。教室や講堂が勤労動員の学生の宿泊所になっている。去年、学長と一緒に来たところである。プロフを作るために数名の生徒がここに残る。一休みしてバスで10分ほどの棉畑へ。畑では勤労動員の学生が働いている。その一角が我々日本人に割り当てられた場所のようだ。摘んだ棉を入れるカンガルー袋をもって畑に入る。昨年の棉つみツアーはちょっと時期が遅かったが、今年は学生の動員期間中で、棉もたくさん付いている。一緒に行ったMA2のクラスの生徒の半数以上が棉つみの経験者である。綿の枝を押し曲げて棉を実から引き抜いていく。

日差しは強く、汗ばむくらいだ。子供連れで参加されたMさん一家は早々とワタツミ労働から離脱して草の上に腰を下ろし、お茶など飲んでいる。ピクニック気分だ。若い人も、もういいや、と言う感じで早めにやめている。こういうところで頑張るのはやはりSV、団塊の世代だ。黙々とワタツミに精を出す。棉の感触は何か人を和ませる。4つまたは5つの花弁からできた棉をきれいに引き抜くことができると少し嬉しい。人によっては無償でウズベク経済向上に寄与できる喜びを味わっていると言う人も・・・いないと思う。

動員された学生は2週間交代、2ヶ月間、土日無しで棉をつみ続ける。1日60キロのノルマがある。収穫した棉1キロにつき60スムの報奨金が出るが、宿舎での食事代、近くの農家で貸してもらうシャワー代などで概ね消える。
畑の側道には大型トラクターに引かれた荷車がある。そこに袋一杯になった棉をもっていく。そこで竿秤で重さを量り、女子学生がその数字をノートに書き込んでいく。

我々も摘んだ棉を秤量してもらう。まじめにやると初めての人でも1時間で5,6キロ摘むことができる。だから動員学生の1日60キロのノルマは決して厳しいものではない。こういうことも実際に棉を摘んでみてわかることだ。動員学生が働いているところを見たが、男女話をしていて、のんびりやっているように見えた。恐らく、棉が湿り気を帯びていて重量が稼げる午前中にノルマの大部分をこなしてしまっているのだろう。
(続く)