チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

棉摘みツアー 3

イメージ 1

棉摘みツアー3

プラン採用とならなかったグループ45の授業を始めたが皆、ひどくよそよそしい。見積比較を例に取り、フェア(公平)の話をしたが、余り聞く耳を持たないといった感じだ。日本の生徒だったら「なるほど、こちらは努力が足りなかったのだ、次回これを教訓にがんばろう」という気が10%くらいあると思うが、こちらはまるで小学生のように聞き分けが無い。我々のプランを採用してくれなかった、ひどい、のひとことだ。その上、冗談だとは思うが、今度の日曜は雨で遠足にはいけなくなると思いますなどといやみを言う。ま、こういう結果で残念だったとは思うが、顧客獲得についていろいろなことを学んだことと思う、と話を切り上げた。

さてG45の期待もむなしく、日曜は絶好の行楽日和だった。待ち合わせ場所には日本人25名、生徒20名が勢ぞろい。3台のミニバスに分乗して、ヤンギイールに向かう。バスの中は生徒と日本人が混ざり合って、ウズベク語のできる日本人の助けで話が弾む。郊外に出るということで皆ウキウキしている。1時間足らずのドライブで道路沿いにある大きな原綿処理工場に着いた。工場の周りは棉畑になっている。

はじめにに工場見学を、とベク君が守衛に交渉すると、ダイレクターからそんな話は聞いていない、入れられない、とのこと。おお、これがウズベクだ。学長が電話で話をつけてくれた、ウミダの父兄が工場の幹部だから心配ない、の話はどうだったのか。すったもんだのあとにダイレクターと電話で連絡がつき、車で工場に出向いてくれることになった。

先に工場近くの棉畑で棉摘みをすることになる。本日のメインイベント。真新しいカンガルー袋をもらって全員畑に散る。いろいろな人から、聞いていないといわれて畑に入れてもらえない、いやその前に季節が遅くて、もう棉が生えていない、とか散々脅かされていた。1月前の最盛期に比べれば、実っている棉は少なめではあるが、曲がりなりにも棉摘みができたのは主催者の一人としてこれほど嬉しいことはない。写真を撮る人、ひたすら棉摘みに精を出す人、生徒も畑に一緒に入って棉の花束を作ったり、棉を摘んで日本人の収穫袋へ入れたりしている。初めて棉に触る人も多く、始めはおっかなビックリだがすぐなれてくる。自分はこれでも経験者だからザイニディン学長の取り方を真似して、えらそうに4本の指を使ってこう、一気に引き抜くのです、などと講釈して回った。

まあ、いくら楽しいといっても小一時間も摘めば充分だ。日差しが強く、皆半そでになる。木陰で休んでいると、生徒とベクがみなの収穫袋を点検してみて回り、沢山摘んだ人にウズベクの郷土人形を賞品にくれた。物事に集中して取り組む、という日本人のいいところでもあり、悪いところでもあるような気もするが、そんなに棉を集めてどうするの、というほど大量に収穫してしまった人もいる。

さて、工場の道路を挟んで向かい側にチャイハナがあった。チャイハナとはマハッラにある炊事施設付き町内会館みたいなものだ。棉摘みにも参加せず、ここに着くなり、何人かの生徒がプロフ作り、サラダつくりなどお昼の支度に余念が無い。生徒たちに勧められてプロフ作りの工程を見学させてもらう。大なべに底から15センチくらい油を満たし、ニンニク、香草などをよく熱し、直径15センチほどの羊肉の塊りを4,5個いれる。このあと、豆、干しブドウ、大量の刻み人参、さらに水を加えて最後に水に漬けておいた米をひしゃくですくって入れる。蒸らす時間も入れると出来上がりまでに3時間以上もかかる。

とりあえず、果物やケーキ、ドリンクで一息入れる。ケーキは生徒が家で作ってきたシナモン生クリームケーキやチョコレートケーキだ。手作りだからというわけではないがとてもいい味で、商社マンの奥さんは3つも食べていた。

プロフができあがるまでの間、原綿工場を見学する。まず横8メートル、縦15メートル、高さ5メートルのかまぼこ型に積まれた棉花の山(写真)を見る。上部はシートで覆われているので白い棉の家のようだ。乾燥を促すために棉山の中央に通路が貫通している。ここで一時保管された原棉はサクションパイプで次の乾燥、不純物除去工程へと送られ、種が除かれ、最終的に200キロほどの圧縮棉梱りとなって倉庫に保管され、輸出されるのを待つ。グレードは3種類あり、3級品は濡れ縁に近いところにおいてあった。

原棉ではなく木綿糸、綿布、さらに綿製品にして輸出すれば付加価値が付き、外貨獲得につながると思うのだが、原料に近い形で多くの綿花が輸出されてしまうのにはなにか理由があるのだろう。

女子生徒総出で作り、男子生徒が全員ボーイさんになって支度してくれたプロフはお世辞抜きでこの国に来て一番美味しいプロフであった。これは他の参加者が口をそろえて言っていたことである。これほど多くの日本人に接し、また喜んでもらえ、生徒たちも心に残る一日だったという。「ビジネスの基本はお客も自分も楽しいということ」という日頃、自分が言い聞かせてきたことの実践が曲りなりにもできたように思う。

それでビジネスとして成り立ったか、という野暮な質問はしないでほしい。ソンしてトクとれの近江商人の気持ちです。

「UFO少年アブドラジャン」というウズベキスタン映画の紹介が友人のブログでされています。
(10月24日ブログ)
http://kurakent85.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/index.html
お読みになったら、「人気ブログランキングへ」の文字をクリックしていただけると助かります。

追伸:中西さんは26日からブハラ、ウルゲンチ方面に旅に出ています。楽しい記事を期待しています。ブログ管理人より