チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ブハラ、ヒバ 1

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任国内旅行(ブハラ、ヒバ)その1

9月、10月の集中講義が終わり、3年生は2ヶ月ほど各地の銀行、政府機関に配属されて、現場実習を受ける。学校には出てこない。したがって教師は開店休業となる。少しうれしい。
現場実習といっても配属先での勤務態度がいいとそのままそこに就職できる可能性がある。学校には戻ってこない。失業率が40%を越えるこの国では卒業証書よりも就職のほうが大切だ。失業問題についてはもちろん当局も頭を痛めている。若年労働者に充分な雇用機会を提供できないため、今年はカレッジ、大学の定員を軒並み増員して、失業予備軍である若者を大量に教育機関に収容した。タシケント・バンク・カレッジも1学年定員700名のところ870名の入学者を受け入れ、教室が足りないため2部授業となっている。

ある州では2つある医療カレッジを突然1校増やして3校にした。設備は既設の2校から3分の1ずつ移設した。その場限りの対応で3年後、4年後、学生、生徒が卒業してくるときはどうするのだろう、と誰でも考えるところであるが、当面の危機を回避することが重要であって、その時はその時、という気持ちだろう。

さて、中央アジアの栄光と繁栄の時代を実感するために、訪れなければいけないウ国の古都が3つある。サマルカンド、ブハラ、ヒバだ。それぞれ紀元前からの歴史を持ち、イスラム文化の中心地として光芒を放った世界遺産の名所である。サマルカンドは通訳のベク君とこの7月、炎熱の中を見物して回った。喉の渇きと疲労に苛まれながらひたすら歩いた、という苦しい思い出がある。

ブハラ、ヒバは日本の奈良、京都に当たる。タシケントから約600キロ、ウ国の北部ホレズム州に位置している。ホレズム地方の冬は早い。11月に入ると雪がちらつくこともあるらしい。急がなくては。

まず、ブハラまで行くには鉄道、長距離バスという手があるが十数時間かかる上に、時々車掌や警官の臨検があり、小銭をせびられる、などとガイドブックに書いてある。時間の関係もあり、空路ブハラに入り、ブハラからヒバまでの500キロは乗り合いタクシーで、ヒバの隣町ウルゲンチから空路タシケントに戻ることにした。ラマダン明けの祭日だったのでツーリストは休みであるし、どこにツーリストがあるかわからない。幸い自分のアパートの前をタシケント空港行きのバス11番が通るのでそれに乗ってタシケント空港まで切符を買いに行った。30分足らずで到着。

休日のせいか空港は閑散としている。あちこち聞きながらウズベキスタン航空の切符売り場にたどり着く。窓口は6.7あるが照明が暗く、係員も2,3名しかいない。ポスター類や装飾はまったく無く、殺風景で寒々しい。初めの窓口ではおばさんにあごであっちの窓口、と指し示され、60過ぎの口をもぐもぐさせている老婦人の窓口へ行く。ブハラ、ウルゲンチには1日2,3便出ているはずなので、時刻表を、というと英語がまったく通じない。タシケント、ブハラ、ウルゲンチ、タシケントといいながら、行って帰るというジェスチャーをすると、時刻表ではなく、黙って小さなカレンダーを出してきた。

もう出発時間にはこだわらず、その日の切符が買えればいいとあきらめて日付、出発地、目的地の筆談に切り替える。老婦人はブラウン管のモニターを見ながらパソコンを操作するのだが、左手の中指1本でポツポツと叩くので絶望的に時間が経過していく。タシケントーブハラ、ウルゲンチータシケントの2枚の切符を買うのに1時間を要した。

さて、JICAに任国内旅行許可願いを提出し、翌日の午前6時発の飛行機でブハラへ向かう。当日は4時前に起き、リュックを背負ってアパートの前で白タクを捕まえる。3千というのをいつもは1500だよ、などと交渉して2千スム(200円)に値切って空港へ。

出発前1時間ちょっと前に着いたのに空港待合室はほとんど真っ暗で、来るところを間違えたのではないかと不安になる。やがて明かりがつき受付が始まるが、行き先、便名、時間を告げる電子ボードはまったく作動していない。危険品持込チェックも金属探知ゲートで警告音がなると係官が素手でボディチェックを行う。くすぐったくて仕方がない。女性客には婦人係官がボディチェックをする。また女性係官が男性客に触れることは無い。

待合室がそのまま出発ゲートになるのだがここでも電子ボードが作動していない。時々、ドアのあたりでおばさんがヌクス、ウルゲンチと行き先を大声で叫ぶ。するとそこへ乗客が殺到する。自分の目的地、ブハラ、の叫び声が聞こえたのは出発時間を1時間半も過ぎた7時半だった。もちろんそれまでに、出発が遅れておりご迷惑をおかけしますなどの説明は一切なし。

初めての個人国内旅行、一体これからどうなるのか。