聞け、棉つみの声 その2
棉つみは、最初は楽しいが1時間もやると、アンクル・トムの気持が何となくわかってきて、黒人霊歌でも歌いたくなる。日差しは強く、朝からのまず食わずで、これでは熱中症になってしまう。まだ棉つみを継続している人もいたが通訳のナフォサットにもうやめて食事にしようと伝える。バスに戻ったが、なかなか出発しない。何かもめている。要するに午後から来るはずの学長が来ず、昼食を取るはずのチャイハナ(食堂つき町内会館)も学長が請合ってくれたのに実際は何も準備されていないとのことだった。とにかく小学校へ戻る。ここで生徒たちがプロフを作って待っている。
学校でナフォサットが関係者に交渉しているが、小学校の人も何も聞いていない、何もできないとのこと。ナフォサットは余りのことに涙ぐみながら抗議しているがラチがあかない。
よくよく聞いてみると学長は関係者に、動員されている他カレッジの学生に協力するために、タシケント・バンク・カレッジから50人の棉つみ応援を出す、とだけ言っただけらしい。だから棉畑の農場主や農夫たちがびっくりしていたわけだ。30名以上の老若男女、それも外国人の集団が現われたのだから・・・
それにしても食事だけは何とかしなければいけない。プロフはできていると言うので安心だが、どこで、どうやって食べるのか。時間は2時を回っている。飯はもういいからこのまま帰って早くビールが呑みたいなどという人もでてくる始末。こういうとき、偽主催者であってもみんなに動揺した素振りは見せることができない。それよりも食事ができなかった場合、会費をいくらに割り引こうかなどとつまらないことを考える。あとである参加者から「中西さんの企画立案能力、実行力あってのツアーでした」というメールを頂戴したが、とんでもない、穴があったら入りたい心境だ。
ここでMA2の生徒たちが動き出した。宿舎から学生の布団などを持ち出して校庭の木陰に我々34名が座れる場所を作りはじめた。その間に女子生徒はせっせとプロフと一緒に食べるアチチュクというサラダ作りに精を出す。
果物やケーキ、プロフを載せる大皿も彼らが交渉してどこからか集めてきた。スプーンや小皿が少し足りなかったが、ノン(ウズベクのパン)を皿代わりにして、プロフやサラダを食べたり、スプーンも共用したりで、何とか食事を取ることができた。参加者はウズになれている人ばかりであるから、こういったハプニングや多少の段取りの悪さがあっても、金返せなどと文句を言う人はいない。紳士、淑女ばかりである。
おお、そうだ、今日の会費をまだ集めていない、と気がついて車座になったところで黒いポリ袋と名簿を回す。500スム札で支払う人もいて、ポリ袋はずっしりと重くなる。
昨年のツアーでは工場見学をしたが、今年は棉つみだけであった。しかし去年に比べ、棉の付きがよく、動員学生の働きぶり、綿の集め方、農場主や農夫たちの様子など実際の畑の様子が分かり、それはそれで興味深かった。また参加者の中には宿舎の内部を見学して、学生がどういった環境で寝泊りしているのか、また学生に直接生活ぶりや動員期間など聞いている人もいた。年齢にかかわらず、どうして?、なぜ?と好奇心が強い人がウズ在住邦人には多いように思われる。またそういう方のほうがウズベクの生活を楽しみ、有意義に日々を過ごされているように見える。
小学校を出たのは16時、バスの中では誰の手にコインがありますか、といったゲームをして、当たった人に賞品が渡された。
なお、参加者の中に一人、背広、ワイシャツ姿の男性がいた。たまたまタシケントで情報通信関係の国際シンポジウムがあり、そこで招待講演をするために訪ウしていた某大学の教授である。前夜、食事をしたとき、日曜にいくところがないというのでお誘いした。
イヤー、楽しいな、などと喜々として棉つみをしていたが、自分が学生や農場主に話を聞いているのを見て、「おお、学徒動員、まさに『聞け、棉つみの声』、ですな」といった。10年前、初めて彼に会った頃は、公文俊平先生の下でバリバリ活躍する少壮助教授であったが、久しぶりに会ってみたら、オヤジギャグを飛ばす単なるおじさんになっていたというわけだ。