小泉首相訪ウ
ブレジンスキーが1990年代に書いた「地政学で読む世界」という本がある。その中でロシアの下腹、中央アジアはロシア、中国、欧米の影響をそれぞれに受ける地政学的に重要な地域と書いてあったと記憶する、この本が書かれてから10年以上たつがやはり、中央アジアはその地政学的重要性を失っていない。
今でこそ、ウズベキスタンはロシアの強い影響下にあるが、2003年、ジョージ・W・ブッシュ大統領がイラク攻撃に踏み切った時、イスラム国家のひとつでありながら真っ先に米国支持を表明し、米軍の国内駐留まで認めていたのはほかならぬウズベキスタンである。
しかし、2005年5月のアンディジャン事件(ウズベキスタン、フェルガナ地方で起こった反政府暴動事件、ウ国政府はテロリスト、兵士が187人死亡したと言っているが、西側メディアでは一般市民が1000人以上虐殺されたと非難している)を契機に欧米とウズベクの関係は冷却化し、実質的に断交状態にある。その間隙を縫って、ロシア、中国が中央アジア諸国と緊密な協力関係を結び、軍事演習なども活発に行っている。時々に応じて、欧米、ロシア、中国を天秤にかけるしたたかな外交、と見るむきもある。
このたび、日本の首相として初めて、小泉首相がカザフスタン、ウズベキスタンを訪問した。カザフスタンでは、豊富なエネルギー資源を持つカザフの経済発展に日本が積極的に関与する方針を伝え、資源の共同開発や、人的交流の拡大などを盛り込んだ共同声明を発表した。(写真:宿泊ホテルのインターコンチネンタル)カザフスタンは世界第2位のウラニウムの埋蔵量をもつ国であり、石油、ガスも豊富で1000キロのパイプラインを敷設して、中国南部への原油輸出も開始している。
近年エネルギー資源の輸出で潤っており、国民一人当たりのGDPは2880ドルと中央アジアでは飛びぬけて高い。
一方、ウズベクの国民一人当たりGDPは480ドルと低いが、2600万人と中央アジアでは突出した人口を誇る。石油、ガスもあることはあるが輸出余力があるというほどではない。
このたびの小泉首相の中央アジア訪問を、日本のメディアでは資源外交の一環として取り上げているが、西側メディアは日本が米国のエージェントとなって、米国とウズベキスタンの関係修復に一役買おうとした、と見ている。
中央アジアが中国、ロシアの衛星国になるよりも、民主化し、経済発展し、中国、ロシアと対等な立場で発言、行動できるようになることが日本の国益にもかなう。
事実、小泉首相はアンディジャンの言葉は避けたものの、カリモフ大統領との90分に及ぶ会談の中で民主化要求、人権問題を持ち出したと伝えられる。また米国との関係改善の橋渡しも申し出たらしい。さらにイランの核開発に反対する立場を両国で確認した。
こんな話を通訳のベク君にしたら、半開きになっていた研究室のドアを慌てて閉めに行って「そんな話はウズベクの新聞、テレビでは一切、報道されていません」とヒソヒソ声でつぶやいた。
日本外交はこのように資源ばかりでなく、世界戦略を踏まえて、この地域の発展、安定に努力している。そのことを日本人にもっと知ってほしいと思う。今回、首相が約束した原子力に関する技術協力や、中央アジア諸国から今後3年間で2千人の研修員や留学生の受け入れが、日本の中央アジアにおける存在感をいくらかでも増すことにつながれば、と願っている。
他に日本のメディアに余り出なかったと思われることを2点。
小泉首相は、強制労働に従事し、この地で亡くなった日本人の慰霊碑及び抑留者記念碑に献花し、また日本人抑留者が建設したナボイ劇場を視察し、哀悼と感謝の意を表した。ナボイ劇場は1966年タシケントに壊滅的被害をもたらした大地震の折にもびくともせず、日本人が作ったものはさすが、とウズベク人を感嘆せしめたものである。
今回の訪問地、カザフとウズベクの両国を同じような国と思われるかもしれないが、歴史的に両国は余り友好的な関係にない。経済規模の大きいカザフに出稼ぎに行くウズベク人がカザフ人から差別され、虐待や賃金未払い事件が数多く報告されている。また両国を流れるアム河の水をカザフは小麦、ウズベクは綿花栽培に大量使用するため、一種の資源争奪戦が起こっている。川の流れ込むアラル海は水資源乱用のため、流入水量が減って干上がりつつある。
川を隔てて水争いということは歴史上、枚挙にいとまがない。ライバル(RIVAL)の語源はリバー(RIVER)にあることが改めて思い起こされる。
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