チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

Entries from 2009-09-01 to 1 month

タイ日本友好記念館(その7)

タイ日本友好記念館(その7) インパール作戦には中国戦線から精鋭部隊が投入された。中国が非難するように日本軍が暴戻残虐であったなら、ビルマでもタイでも同様だっただろう。そして現地人の恨みを買い、助けるどころかゲリラ化した現地人に敗残兵が襲わ…

タイ日本友好記念館(その6)

タイ日本友好記念館(その6) 入り口にはこの記念館を作ったチューチャイ氏の言葉が日、英、タイ語で掲げられている。 第二次世界大戦には多くの残忍な思い出があるでしょう。でも、私たちタイ人は違います。この戦争はタイ人と日本軍兵士との間に愛と絆を…

タイ日本友好記念館(その5)

タイ日本友好記念館(その5) チェンマイから130キロほど走るとパーイの街に着く。チェンライとメーホーソンの中間に位置する街だ。標高が450メートルほどあり、チェンマイに比べてかなり涼しい。何時のころからファラン(西欧人)がよく来るようになり、芸術…

北部タイの超豪華スパを満喫

北部タイの超豪華スパを満喫 タイには一般の人とはかけ離れた階級の人がいる。また、海外からの観光客も格安航空券やパック旅行で来る人ばかりではない。そういったお金持ちを相手にする豪華施設がチェンライにもある。チェンライ県メーチャンにあるプーチャ…

タイ日本友好記念館(その4)

タイ日本友好記念館(その4) 朝、7時半にチェンマイを出発した。通勤ラッシュの市内を抜けるともうほとんど車が走っていない。107号をメーテン手前まで行き、左折して1095線に入る。この道をひたすら西に走ってメーホーソンまで行く。この道は、昔は人間が…

タイ日本友好記念館(その3)

タイ日本友好記念館(その3) タイは英米に宣戦布告して共に戦ったが、日本の敗戦後はどうなったのか。タイの歴史教科書では開戦から終戦の動きを次のように述べている。(仏歴は西暦に直した。教科書だから非常に読みにくい。お許しを乞う) 「1941年12月8日…

タイ日本友好記念館(その2)

タイ日本友好記念館(その2) チェンマイからメーホーソンは直線距離で100キロほどであるが、陸路ではメーマライ、パイを経由して行く北回りの道で245キロ、メーサリンを通る南回りの道で345キロである。1日数本のバスが出ている。どちらのルートを辿っても…

タイ日本友好記念館(その1)

タイ日本友好記念館(その1) タイ北西部に位置するメーホーソン県はビルマと国境を接している。県都メーホーソンから南へ60キロ下がったところにクンユアムという小都市がある。村といってもいいだろう。そこに日本軍の遺留品を集めた博物館がある。1995年…