チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイ日本友好記念館(その1)

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タイ日本友好記念館(その1)

タイ北西部に位置するメーホーソン県はビルマと国境を接している。県都メーホーソンから南へ60キロ下がったところにクンユアムという小都市がある。村といってもいいだろう。そこに日本軍の遺留品を集めた博物館がある。1995年、たまたまこの地域に赴任してきた警察署長、チューチャイ・チョムチュワット氏が、地元にあいさつ回りに出かけたところ、各家々に水筒、毛布、鉄兜、飯盒など旧日本陸軍の想い出の品が保存されていることに気付いた。これらの品々は、旧日本兵が食糧や果物と引き換えに地元のタイ人に与えたものだった。また、アジア諸国に伝わる旧日本軍の「蛮行」とは逆に、兵士と地元住民の関係は極めて良好で、友情がはぐくまれていたことも知ったという。彼は日本兵と村人の交流に興味を持ち、自費で兵士の遺留品を集め、1996年に小さな博物館を開いた。これがクンユアムの「タイ日本友好記念館」(旧称戦争博物館)である。

バンコクから日帰りで行けるカンチャナブリには映画「戦場にかける橋」で有名なクワイ河にかかる鉄橋がある。泰緬鉄道建設の基地となったところだ。この鉄道建設には6万人にも及ぶ英国、オランダなどの連合軍捕虜が働かされていた。カンチャナブリには3つほど戦争博物館がある。その一つ「JEATH戦争博物館」は日本(J)、タイ(T)と連合軍捕虜の出身国=イギリス(E)、オーストラリア(A)とアメリカ(A)、オランダ(H)の頭文字を並べ、JをDに変えると「DEATH(死)」を連想できるように命名されている。これは日本軍の戦争犯罪を暗示しているものだ。また、英語で書かれた説明は実に底意地の悪いものだった。「日本は明治維新以来、着々とアジア征服の意思を持って、朝鮮、支那を侵略し、ロシアに戦争を仕掛け・・・」といった具合だ。アジアの主人として君臨してきた白人が、サルの親戚と思っていた黄色人種に負けて、その命令の下に鉄道建設作業を強いられた、という悔しさが垣間見えるような書き方だ。
開戦前、英国人技術者が完成までに5年はかかると予測していた鉄道建設を、日本軍は、わずか1年4ヶ月で完成させた。個人的には、その頑張りと技術力を日本人として誇りに思いたい。

さて、話を本題に戻す。
1941年(昭和16年)の終わり、日本軍はビルマ、インド、中国南部を攻めるためにタイを通過し始めた。1942年の初めには南方軍指揮下の第21師団工兵隊を中心に日本兵、数千人がクンユアムに駐屯していた。日本軍は地元のタイ人を雇用して道路建設にあたらせた。建設作業を通じて、クンユアムの村人と日本兵の関係が始まった。米や食料の売り買いがあり、日本兵は兵舎ばかりでなく、寺院、一般家庭で寝泊りし、村の人たちと寝食を共にした。 当時、日本軍に協力した警察幹部の息子ジャルーン・チャオプラユーンさんは、「寺院や学校に駐屯していた日本兵は規律正しく、子供の面倒を見たり、稲刈りを手伝ったりしてくれた」と振り返る。

 1944年に日本軍はインパールとコヒマに向かって攻撃を始めた。インパール作戦の始まりである。インド南部で日本軍は英、米、印による連合軍に包囲され、激戦を強いられた。ビルマ国内でも戦闘が行なわれ、日本軍の死者はビルマ国内だけで3万人をくだらないと言われている、傷つき、飢え、逃げ場を失った日本軍は進軍路であった道を通って何万人もクンユアムに敗走してきた。命からがらクンユアムにたどり着いた日本兵を住民は手厚く介抱して食べ物を与えた。

チューチャイ氏の「第2次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出」という著書にはこう書かれている。「敗戦前に日本兵ビルマから敗走してきて、お寺、村人の家、学校、村の小さな病院などはほとんどいっぱいになった。そして村の一軒一軒に日本兵が一緒に住むことになった。家の大きさによって違うが、一軒に大体5人~20人くらいいた。また道のかたわらに野宿する人もいた。 日本兵は村の人に何でも出来ることをいろいろと手伝った。たとえば米の脱穀精米作業とか、農作業のときの赤ちゃんの子守などやってくれた。クンユアムの人たちは、日本の兵隊さんのことをいやだとは思わなかった」

敗残兵であっても秩序と誇りを失わなかった日本兵と彼らを精一杯助けてくれたタイ人の優しさを思うと胸が熱くなる。
クンユアムのタイ日本友好記念館には以前から行ってみたいと思っていた。8月のある日、兄と日本から来た知人のSさんの3人でクンユアムに行くことができた。前置きが長くなったが、次号からその旅行記を書いてみたいと思う。


市場で撮った写真:
竹虫(上)は4,5センチの芋虫ですが、から揚げにするとバター味で大変美味い。
タニシ(中)は日本でもたべました。
カブト虫(下)は未だにチャレンジする気が起きません。