チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイ日本友好記念館(その7)

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タイ日本友好記念館(その7)

インパール作戦には中国戦線から精鋭部隊が投入された。中国が非難するように日本軍が暴戻残虐であったなら、ビルマでもタイでも同様だっただろう。そして現地人の恨みを買い、助けるどころかゲリラ化した現地人に敗残兵が襲われたに違いない。しかし、クンユアムの村人たちは象と一緒にビルマ領にまで入り、歩けなくなった傷病兵を連れ帰っているのだ。

タイの元運輸大臣ジャルーン・チャオプラユーン氏はこう語る。
「私はクンユアムに進駐してきた最初の日本兵から、帰還する最後の一兵までを知っている。クンユアムの日本兵は村人と共に働き、お互い協力して生活していた。カンチャナブリの博物館で宣伝される日本軍とは違う。優しかった日本兵を私は忘れない」

第2時収骨団コヒマ監督官のC.Nメレン氏(インド人)は言う。
第二次世界大戦の際、インド最東部のナガの人々は、日出づる国の人々と接触を持った。日本人と初めての出合いである。日本の兵士達は、この地に敬慕の念を残していった。数千の兵士らに不品行はなく、日本軍が駐留していた処には学校が建ち、日本の歌が教えられた。ナガの人達は今でも幾らかの日本語を憶えており日本の唄を歌う。大部分のナガランドの人達は、生ある限り日本将兵に対し友情と信頼を持ち続けるであろう。彼らは、ナガの人々の心に消すことの出来ない印象を植え付けて、去って行ったのだ」

また、大東亜戦争の評価も半島人や中国のそれとは大きく異なる。のちにタイの首相となるククリット・プラモート氏はサイアム・ラット紙に「12月8日」と題して次のように書いた。
「日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話しが出来るのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの二つの日をわすれてはならない・・・・」

マレーシアの上院議員、ラジャー・ダト・ノンチック氏は「日本の人たちへ」と題して
 ―私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信とを与えてくれました。永い間眠っていた犲分たちの祖国を自分たちの国にしよう〃という心を目醒めさせてくれたのです。
 私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。私もあの時にマラヤの一少年として、アジア民族の戦勝に興奮し、日本人から教育と訓練を受けた一人です。私は、今の日本人にアジアへの心が失われつつあるのを残念に思っています。これからもアジアは、日本を兄貴分として共に協力しながら発展してゆかねばならないのです。ですから今の若い日本人たちに、本当のアジアの歴史の事実を知ってもらいたいと思っているのです。
 先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、「日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べにきたのだ」と言っていました。私は驚きました。「日本軍はマレー人を一人も殺していません」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。そして日本の将兵も血を流しました。どうしてこのように今の日本人は、自分たちの父や兄たちが遺した正しい遺産を見ようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう。これは本当に残念なことです― 

と日本の自虐史観を嘆いている。


極東国際軍事裁判のインド代表、パール判事は、その日本の無罪判決書の最後にこう記した。「時が、熱狂と偏見をやわらげた暁には、理性が虚偽から、その仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」

未だに熱狂と偏見は続いているのであろうか。(続く)

タイ・チェンマイを舞台にした「プール」という映画が
9月12日から公開されています。タイでの生活をご覧いただけます。
http://kurakent85.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-c551.html

写真はチェンライの市場、ソムオーというザボンとよく似た柑橘。