チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイ日本友好記念館(その6)

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タイ日本友好記念館(その6)

入り口にはこの記念館を作ったチューチャイ氏の言葉が日、英、タイ語で掲げられている。 
第二次世界大戦には多くの残忍な思い出があるでしょう。でも、私たちタイ人は違います。この戦争はタイ人と日本軍兵士との間に愛と絆を同時にもたらしたのです。私たちは、決して忘れることはないでしょう・・・

入館者は我々3人だけで、受付の人が館内の電気をつけてくれた。館内に入ると、まずその所蔵品の数と種類の多さに驚く。銃、軍刀、鉄兜、飯盒、軍服、軍票、認識票、水筒、薬、注射器、歯ブラシ・・・よくもここまで集めたものだと感心するばかりだ。当時の写真や地図もある。道路地図には日本語で、祭り峠、見返り峠等の文字が見える。
ビルマからボロボロになって敗走してきた日本兵はここクンユアムの人々に助けられ、英気を養って、白骨街道の終着地チェンマイへと出発していった。杖をつきながら落ちていく兵士の写真には「歩けるものだけが助かった」というキャプションがある。かと思うとタバコを吸いながら談笑する若い兵士の写真は今、渋谷で見る若者と同じく屈託がない。

1千点を越える遺留品は、日本人とは縁もゆかりもない一人のタイ人、チューチャイ氏が、100万バーツ以上の私財を投じて収集した。これだけのお金があればタイでは家が一軒買えるだろう。どうして彼はこのようなことを始めたのだろうか。チューチャイ氏は言う。

「私は、この世のすべてのものには魂が宿っていると信じている。
・・・物をつくった人は、その物がこの世の中に存在する価値を吹き込む。
・・・その物の持ち主の心
・・・持ち主の子孫やその物に興味を持った人の心は、その持ち主に思いを馳せる。

 戦争時の日本兵の持ち物は生きるための必需品である以外に、持ち主とともに苦楽をともにした友達である。何年もの間共に任務を遂行した物に、持ち主の愛情と友情は伝わったはずだ。その愛情は、持ち主が去ってしまってもその物に宿っている。物は持ち主の代わりに子孫や後世の人たちにかつての時代のことを語り、尊敬の念を起こさせる。その時、その物は子孫たちにとってお金で買うことの出来ないかけがえのない物になる。

 この考えが、私たちが物を集め、出来事を語り伝え、そして博物館を設立した理由のひとつだ。博物館は後世の人たちが歴史の一場面を学ぶ場である。先祖の使ったものに触れる喜びは、去ってしまった人の心に触れる喜びとなる。 この喜びはあなたの中にも起こるかもしれない・・・・」

チューチャイ氏の言葉は、ウズベキスタンのジャリル・スルタノフさんを思い出させた。スルタノフさんは一介の退職電気技師だが、ウズベクで強制労働に従事した日本人抑留者に興味を持ち、各地を訪ねては聞き取り調査を行った。彼は、日本人抑留者に感謝し、懐かしい感情を持っている人にどこででも出会った。そして当時のウズベク人が抑留者からプレゼントされた品物をもとに、「1940年代ウズベキスタンで生活した日本人の記録展示場」という個人資料館を開いた。(http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/18289608.html

明るく、勤勉で、優しかったというウズベク人の日本人感は、クンユアムの日本兵に対するタイ人の感情と共通するものがある。ウズベクはタイと同じく親日的な国である。自分はウズベクで暖かく受け入れてもらい、また、今タイで心地よく住まわせてもらっている。それは我々の父、祖父の世代の日本人が、遠い異国にあっても日本人としての矜持を保ち、誠実な振る舞いを全うしてくれたお陰ではないだろうか。遺留品を一つ一つ見ていくうちに、国のために殉じた多くの先人に感謝の気持が湧き上がってくることを抑えることができなかった。遺品さえ残さずに倒れていった日本兵に思いを馳せてくれたタイ人がいる。ドクター・ナロンというタイ人が作曲した「クンユアム タイ日本友好記念館」はこう歌う。

祖国から 遠く離れて 来ました
東から 太陽の出るところ
身体も 心も 疲れ果て
遠く遠くへ行くために 道を作っていく
ジャングルも 切り開いて行きました
遠く遠くへ行くために タイを通って行きました
そこは マラリアや多くの疫病がある 難関のところ
地獄のようなところ 疫病のジャングルも 切り開いてきた
多くの命は ジャングルで 斃れました
身体は そこに 埋められました
その名前は ドグブアトーンの花畑で 預かっています
ここに ジャングルに 道にいる 多くの魂は
私たちタイ人が 天国に行きますようにと 神様にお祈りしました
これは タイと日本の友情の心でやったことです
この友好記念館は 二つの国のものです
桜が散るのを 見ると 心が切ない
桜が散るのを 見ると 心が痛む
クンユアム タイ日本友好記念館
クンユアム タイ日本友好記念館
(意訳:武田ソムヌック)

タイ人は優しい・・・・。(続く)