チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

邦人の死

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邦人の死

■本格的な雨季入り
雨季に入り、連日のように雨が降っている。ほぼ枯れかかっていた我が家の隠元豆も元気を取り戻し、蔓が伸び、葉が茂り、可憐な花をつけ始めた。草木ばかりでなく、北タイのブロガーも数カ月ぶりの驟雨におしなべて喜びのコメントを寄せている。「蓮池に雨繁くなる慈雨愛雨〈山口誓子〉」。

先月21日には思いがけず、健康診断のさなかに心臓の不調が指摘され、あれよあれよという間に、検査からステント埋め込み手術が終わってしまった。21日の夕方から大雨になったらしいが、手術直後、集中治療室にいて身動きもならず、見舞いに来た兄から雨の話を聞くばかりだった。手術のことをブログにアップしたので、何人かの友人からお見舞いメールをもらった。改めて御礼を申し述べたい。日本でステント手術をする場合、手術前検査で一日、鼠径部ほかの剃毛、4時間の手術、退院後も2週間は運動禁止、等々、大変な手術らしいと分かった。こちらでは冠状動脈造影検査を含め、1時間ちょっとで手術は終わった。また術後、1週間でテニスを再開したし、スクータにも乗っている。先週、執刀医の術後診断を受けたが、ワインと日本酒は100mlまで、ビール並びにラオカオは一生飲んではいけないと申し渡された。ネット情報ではもう少し緩やかであったので、ここは是非、セカンド・オピニオンを求めなければ、と思っている。

■邦人の死
動悸、息切れはテニスのように激しい運動には付き物、と考えていたが、先週、久しぶりにコートを走り回って、何か体のキレがよくなったように感じた。偶々、上手な人と組んだせいもあるが、2セットやって6-0、6-0の結果は、やはりステント手術のお陰ではないかと思う。体の軽さを感じるということは、以前はそれだけ心臓に負担がかかっていたということだろう。コート上で本望の死を遂げた・・・もあながち冗談ではなかった気がする。

今年に入ってから、チェンライ日本人会の関係ですでに4人の方が亡くなっている。毎月、葬式がある感じだ、そう思っていたところ、5月の末に日本人会会員のYさんの訃報が届いた。Yさんは在タイ23年、チェンライ郊外のメチャンでGHを開いている。バックパッカーの間ではよく知られているGHである。GHはチェンライとメーサイを結ぶ1号線に面しているので、通りすがりに寄って、Yさんとの歓談を楽しむという邦人も少なくなかった。
常に上半身ハダカ、ザンバラ髪で半ズボンという風体と明るく大きな笑い声は「野人」の名に相応しいものだった。
彼の死は自分にとっても衝撃的だった。というのは彼は縊死を遂げたからだ。あんなに豪放磊落な彼がどうして、70歳にもなってどうして、自分より若いではないか。

■逆縁
今年になって亡くなった4人の中にYさんの息子さんがいる。タイ人奥さんの間にできた自慢の一人息子だった。

数年前、チェンライにソフトボールチームが発足し、自分も日曜ごとに練習に参加した。Yさんも息子さんを連れてやってきた。熟年中心のチームにあって高校生だった息子さんの戦力は貴重である。でも一塁をやれ、と言ったら、「ボールが飛んでくるからイヤだ」という。次の週の練習ではセンターをやらされたが、家から小さなイスを持ってきて、そのイスに座って守っていた。その昔、少年野球で鳴らしたオジサンに「お前なー、」と怒られていたものだ。面白い子だった。
優秀な子で、その後、タイの京都大学といわれる名門チェンマイ大学に入学し、まだ在学中の今年2月にチェンマイの病院で亡くなった。Yさん夫婦の悲しみは想像に難くない。現地ニュースでは病気を苦にして、と報じられていたが、遺書には「息子の許へ行く」と書かれていたそうだ。

■告別式
6月1日にメチャンのパハー寺で執り行われた告別式に参列した。邦人だけでも30人以上集まったのではないか。僧侶8名による読経が終わり、寺から焼き場までの野辺送りに参加した。坊さんを先頭にみんなで縄を引いていくのであるが、実際はお棺を乗せたサライ(小屋)を引くトラックのスピードに合わせて車の前を歩くことになる。国道1号線は野辺送りのために一時的に閉鎖となる。自分も初めて1号線を歩くという貴重な経験をした。
また焼き場では、窯の前で派手な仕掛け花火がさく裂し、日本からやってきたYさんのご兄妹も故人も吃驚されたことと思う。全て終わって、再び戻った寺でYさんを偲ぶ集まりがあった。友人が交々語るYさんの人となりもご兄妹3人の挨拶も心に響くものだった。元塾講師、山岳の子供にずっと無償で英語、算数を教え、郡から表彰されたこともある。邦人からも地域の人々からも敬愛されるYさんだった。


写真は葬儀の行われたパハー寺、境内では女性下着が販売されていた。読経のお坊さん、邦人記念撮影、綱でお棺を引く野辺送り、火葬場窯前での花火。