チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

チェントンバス旅行(3)

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チェントンバス旅行(3)

■バスの窓から
タチレクから左手を流れる川を遡るようにバスは山道を登っていく。時折、山岳民族の集落を通りずぎる。まだ茅葺屋根の家がある。もうチェンライのアカ族やラフ族の村のでは茅葺屋根の家を見ることは難しい。2002年に初めてアカ族の村に泊まった時は、村の家の半分は茅葺、竹壁の家だった。ここ十数年で、茅葺き屋根がトタン板の屋根に代わり、更にスレート葺きの屋根に代わった。出稼ぎで豊かになった村ではタイ人と同じ瓦葺きの屋根の豪邸も見かける。つまり、少数山岳民族に置ける経済的な発展は茅葺き→トタン板→スレート→瓦という流れを辿る。ミャンマーの道路沿いの家は茅葺きからトタン板に移行中、という感じだ。スレート葺きはまだ少なく、錆びたトタン板屋根が多いところを見ると、まだミャンマーの山岳民族はトタン時代に低迷しているとも言える。

左手に見え隠れしていた川が渓流となり、姿が見えなくなったと思ったら、バスはロイムイの峠を越えてなだらかな下りの道に入った。先ほどまで川を遡ってきたが、今度は川の流れに沿って走っている。先ほどまで遡ってきた川はタチレクからメコンへと流れ、チェントン方向に流れるこの小川はサルウィン川(怒江)へと続くのだろう。チェントンはランナー王国ゆかりの藩王国の首都であったから昔からチェンライとの行き来はあったことだろう。恐らくこのバスが通る道は古来からの街道を整備したものに違いない。そうするとチェンライに駐屯していた日本軍はこの道を通ってインパール方面に進軍していったのではないか、などと考えた。

■まずはホテル探し
バスは4時過ぎにチェントンのバス停に着いた。小さな広場で周りは閑散としている。チェントンの街はこじんまりしているのでバス停からホテルのある街中へも歩いていける、という情報を得ていたが、全く愛想のない場所で何処へ歩き出したらいいのかわからない。すると「タクシー、タクシー」と言いながらバイタクの運転手が寄ってきた。仕方ない、近くのホテルに、といってバイクに跨る。バイクは坂道を下った平屋に泊まった。中に入るとショボい机の前にオジサンが座っている。これがホテル受付か、これは1泊千円以下だな、と旅券を差し出す。部屋はどこにあるんだ。オジサンはA4の紙に何やら書いて「行ってよし」。
その時はじめてわかったが、ここがチェントンの街のイミグレ、即ち出入国管理事務所だった。タチレクでミャンマーの入国手続きは終わっていると思っていたが、更に入境審査があるようだ。紙には30日以内ノービザ、などと書いてあった。

バイタクもそれを心得ていて、まず、入境審査に連れてきてくれたようだ。このあと彼とホテル探し、ネットで調べた市の中心のホテルは1泊25ドルから35ドルの範囲、但し、カード決済ができない。いくつか回ったが夕暮れも近いことだし、1泊30ドル朝食付きのサム・イエット・ホテルに決めた。傍らに立つバイタクの運転手に「いくら?」と聞くと困ったような顔をして「それじゃ、2000チャット(140円)貰えますかね」。親切にあちこちのホテルに連れていってくれたのでこの5倍は払う意思はあった。安いし、人が好さそうなので翌日のツアーの予約をした。彼の名前はホンカンさん、タイヤイ族で英語とタイ語がわかる。
最近、自分が英語を話すと、タイ語が混じることが多い。英語を使うのはテニスコートだが、ここのファランタイ語も堪能なので英タイちゃんぽんは問題ない。でも例えばスリランカでは自分のタイ語混じり英語は相手を当惑させたものだ。この点、ホンカンさんは両方理解するので助かる。

■市場見学
3月でチェンライは暑季に入っていたが、チェントンは海抜800mという高地のせいか、冷房が要らないくらい涼しかった。朝、歩いて3分のチェントン市場へ行く。前夜、市場の前を通りかかったが門が閉まっていて中をうかがい知ることができなかった。夜間、出入りできない市場は、ウズベクでは当たり前だった。日本は築地もアメ横も、それに北タイでも夜間、出入り禁止の市場はない。これはいわゆる「民度」が影響しているのだろうか。

チェントン市場はおよそ縦横900mの広場の中に、人ひとりやっと通れるような小路が網の目のように張り巡らされている。正面入り口右手は食堂街で、暗い小路の奥で鍋から火柱が上がっている。鶏ガラや豚骨を煮込んだ大鍋から湯気が立ち上る。老いも若きも男も女も、薄暗いテーブル席で皿を抱え、匙を口に運ぶ。
この小路を通るだけでアジアのエネルギーを感じることができる。やはり旅は市場から始まる。



バスの車窓から、チェントン市場の門、市場の中