旅心やまず
■マンダレー
今年はできるだけ旅に出ようと心に決めた。昨年11月に出かけたスリランカの旅行記をまだ書き続けているが、それはそれとして11月以来、家にいると何か心が落ち着かない。それこそ「片雲の風にさそはれて」心が乱れる。1泊程度であちこち出掛けているが、行ったことのあるところばかりであるし、チェンマイであれば用足しに、という感じで旅ではない。
そんなある日、ミャンマーのマンダレーに行ってみようと思った。チェンライ県はミャンマーのタチレクと国境を接している。タチレクから先は一部を除いて陸路でミャンマーを南下することはできない。道路事情や少数民族との紛争が続いているからだ。でもタチレクには空港がある。タチレクからマンダレーの距離は約400キロ、週4,5便、飛行機が飛んでいる。ミャンマーのスーチー政権はロヒンギャ問題で西欧諸国から非難を受けており、その影響で白人観光客が激減している。
その対抗策としてミャンマー政府は昨年10月から日本、韓国からの旅行者に対し、ビザを免除することにした。3年前にメーソートからミャンマーのミヤワディに渡り、ヤンゴンまで陸路で行ったことがある。あの時はビザの代金が1600バーツ、ビザ申請にチェンマイのミャンマー総領事館を往復したから金銭的にも時間的にも結構な負担を強いられた。
泰緬国境まで我が家から60キロ、タチレクから飛行機に乗ればその日のうちにマンダレーに着ける。ネットでタチレク―マンダレー往復切符を予約、更にホテルをアゴダで取った。観光客が少ないのか、宿泊代が軒並み通常の60%、70%引きだ。今回は事前にマンダレーを訪問したことのある友人に見所を聞き、更にネットで観光名所を確認した。
実はマンダレーでどうしても行きたい所があった。何度も書いているように、自分が北タイでタイ人に暖かかく接してもらえるのは先人たち、とくにインパール作戦に参加した日本将兵のお陰であると思っている。だからインパール作戦での激戦地であったマンダレーで、慰霊碑の前に立って自分なりの感謝の気持ちを表したい。マンダレーヒルには日本将兵の慰霊碑がある。
■バイタクで空港へ
旅に出ようと決めて3日後には泰緬国境を越えていた。1月20日から24日まで4泊5日の旅だから荷物は少ない。3年前はスニーカーで出かけたが、お寺を拝観する度に靴と靴下の着脱を繰り返し、面倒な思いをしたので今回は履き慣れたサンダルを突っかけた。
早くタチレクに着いたので国境の商店街を散策、カバン、DVD、それにライダーウエアやブーツが安い。一時より活気に乏しいがビザ、並びに入国税不要で盛り返せるかどうか。国境の市場からバイタクに乗って空港へ、代金は100B(330円)。
タチレク空港からは週に50便近くミャンマー各都市に飛んでいるというが、これまで見た空港の中では最もショボい部類に属する。チケットカウンターは一つだけ。航空券はネットで購入したが、旅行代理店からの確認メールが来なかった。それで手書きの発着時間と確認番号を見せたが、係員は旅券の名前と名簿を照合しただけで搭乗券を呉れた。搭乗客のほとんどがミャンマー人、日本人は自分だけ、ファランはいない。途中、インレー湖のあるヘーホー空港に着陸したが、ここで数人の外人が乗りこんできた。
■ウーベイン橋
マンダレー国際空港から市内まで50キロある。事前調査をしてあったので、到着ロビーにあるカウンターでエアポート・ミニバスを申し込む。1時間乗って市内のホテルに横付けしてくれて4000チャット(280円)は安い。
ホテルに着いたがまだ陽が高い。ウーベイン橋から見る夕日は息を呑む美しさ、という情報を思い出した。日の入りには間に合うというので、ウーベイン橋へ行くことにした。
ウーベイン橋はマンダレーの南約11km、古都アマラプラにあるタウンタマン湖をまたいで架かる全長1200mの橋。この橋は、1849年に王都をインワからアマラプラに移す際に、バガン王の命令により使われない旧王宮のチーク材を使ってつくられた、世界最長の木造の歩道橋だ。1086本の木製の橋脚がこの橋を支えている。チーク材を用いた木造橋としては最長最古の橋として知られる。夕焼けを背景に、橋を渡る僧侶のシルエットはマンダレーの観光写真の定番だ。
チャーターしたトゥクトゥクは渋滞に巻き込まれたが日没30分前に橋に到着した。夕陽は確かに美しかったが、湖岸を埋め尽くす大型バスと中国人観光客の数には驚いた。春節のハシリかも知れないが夥しい数だ。夕陽の美しさよりも中国人観光客の数に息を呑んだ、がウーベイン橋、夕陽見物の偽らざる感想だった。
写真はタチレク空港内、乗った飛行機、あと4枚はウーベイン橋