チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

チェンマイ戦没者慰霊祭

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チェンマイ戦没者慰霊祭

終戦記念日
8月15日は71回目の終戦記念日だった。最近は「終戦記念の日」というらしい。敗戦記念日と呼ぼうという人もいるが、いずれにせよ、71年前に先帝陛下の大東亜戦争終結詔書が発せられた日である。

昔、8月15日を国民の休日にしようという動きがあった。その時、西村眞悟代議士が「敗戦の日を休日にするバカがどこにいる!」と一喝したので、休日案は沙汰やみになった。休祭日と聞くと日本ではめでたい日という感覚があるが、国によってはめでたい休日と悲しい休日がある。イランにいた時、偉い坊さんの殉教の日が悲しい休日になっていて、この日は放歌高吟はもちろん、みだりに笑うことさえ禁じられていた。
日本でも終戦記念日を英霊に感謝し、大東亜戦争の意義を国民一丸となって深く考える「沈思黙考」の休日としてもよかったのではないかと思う。

■激戦の前哨基地
1944年3月から6月にかけて日本陸軍ビルマからインド北東部の要衝、インパールを攻略しようと作戦を開始した。北タイはその前哨基地だった。日本軍の参加兵力約85,600名、迎え撃つ英国軍は15万、補給の不備で攻略を果たせず、空と陸から英国軍の反攻を受けつつ退却する。この退却ルートで負傷し、飢えて衰弱した体でマラリア赤痢に罹患した日本軍将兵の多くは、途中で力つきて亡くなった。戦死・戦病死者3万、2万の戦病者が後送された、と戦史は伝えている。(7万人の将兵が戦死・戦病死したという推計もある) 

将兵は一路、チェンマイを指して敗走していった。チェンマイには当時いくつもの野戦病院があった。その一つ、ムーンサーン寺には重傷の傷病兵が収容され、ここで亡くなった兵士も少なくない。寺の境内には日本に生還した戦友の手で建てられた慰霊碑がある。例年、㋇15日に戦没者慰霊祭がこの慰霊碑の前で行われる。チェンライ日本人会の会長さんが慰霊祭に参加されるので、兄と同行させてもらうことにした。

■同時中継
雨の降りしきるチェンライを朝6時15分に出発。チェンマイ日帰りだ。雨季でも1日中降り続く日は珍しいが道中はおおむね雨。この日の足は会長さんが2か月前に日本円にして約40万円で購入したという14年落ちのカローラ。走行距離は何と69万キロ、それでも馬力は充分、時速120キロで雨の山道を飛ばす。日本車は素晴らしい。途中、朝食で時間を取られたが、会場のムーンサーン寺には10時少し前に着いた。慰霊碑の前に祭壇が設けられ、すでに50人ほどの人が着席していた。祭壇左手に大型テレビが設置されており、武道館で行われている全国戦没者追悼式の実況中継が始まった。
天皇皇后両陛下がご臨場された。お二人ともお年を召され、歩みもゆっくりである。両陛下ご着席の後、国歌斉唱、来場者全員が大きな声で歌った。自分が国歌を歌うのは何年振りだろうか。斉唱の間、両陛下が大写しになって、思わず目頭が熱くなった。安倍首相の式辞のあと、1分間の黙祷、続いて天皇陛下のお言葉があってテレビの同時中継終了。

その後、会場ではムーンサーン寺の僧侶5名による読経、寺へのタンブンがあった後、参会者全員が祭壇に献花と焼香を行なった。11時前には慰霊祭の式次第はすべて終了し、実行委員会からお握り、日本蕎麦、味噌汁、アイスクリームなどのお斎があった。今年は日本からの参加者はいなかったですね、などの声が聞かれた。例年、慰霊祭には日本からも遺族の方が来られていたようだ。
慰霊祭の間は雨が上がっていたが、茶話会が終了した昼前から再び雨粒が落ち始めた。

■皆さんのお陰
ムーンサーン寺の慰霊碑の後ろは資料館となっていて、鉄兜、銃剣等の遺品、当時の写真などが展示されている。杖にすがって敗走する兵の写真がある。餓えと病いによって多くの兵士が倒れた。敗残兵を助けるため、タイの人々は象と共にビルマ領へ入っていったという。統制を失った敗残兵であるが驚くことに、ビルマでもタイでも略奪、窃盗といった犯罪を犯していない。村や畑を襲えば餓死しないで済んだのに、人間としての尊厳、日本人としての誇りを極限状態でも守った。その先人を思うと胸が熱くなる。
「クンユアムの人たちは、日本の兵隊さんのことをいやだとは思わなかった」。クンユアム旧日本軍博物館の創設者、チューチャイ氏もこう書き残している。

自分が今、日本人というだけで北タイで暖かく受け入れてもらえるのは、これら先人のお陰、とひそかに感謝している。だから英霊に対しご冥福と感謝の意を表す機会を持てて良かったと思う。

また慰霊祭開催にあたってはタイ人の協力もあった。末筆乍ら関係者各位のご尽力にも感謝したい。



写真は慰霊祭祭壇、僧侶による読経、献花、資料館の展示物、写真(村人と一緒に注目)、式後のお斎、お握りありがとうございました。