チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ7年3カ月

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介護ロングステイ7年3カ月

■暑いけれど変わらぬ毎日
今年の4月は暑かった。天気予報の最高気温は連日40度以上。体が暑さに順応してきたのか、36度、37度位だと、なんか今日は過ごしやすいじゃないか、などと思ってしまう。現在、午前10時だが、窓際に置いた温度計は33度、扇風機があれば汗をかくこともなく、快適に過ごせる。母のいる一階は陽が差さないからかなり涼しい。
女中さんが気温に応じてタオルケットをかけたり、外したり、時には扇風機を遠くからかけたりとこまめに面倒を見てくれるので、汗をかいたり、あせもができることはない。このところ母は変わらぬ日々を過ごしている。

3月から5月にかけてタイの学校は夏休みに入っている。ニイさんの娘、ナームちゃんは11歳、時折、ニイさんと一緒に我が家に来る。ニイさんが母の世話をする様子を見たり、2階にいる自分に冷たいペットボトルを運んできたりする。タイではよその子供にお小遣いを上げることはごく普通だから、時には20バーツ札を上げる。ちょっと腰をかがめ、ワイをする姿が可愛らしい。夏休みだからお母さんのお手伝いに来ているのか、と思っていたがそうではなくて、休み中、団地内にある塾に勉強しにきているとのこと。ニイさんは、ナームちゃんは成績がいいから、上の学校に上げてやりたいという。

■3年以上のブアさん、ニイさん体制
ニイさんが我が家に来てから3年以上経つ。我が家に来る前は中国人の家で働いていた。給料が安く、口うるさいので我が家に転職してきた。我が家に来てから年々昇給している。更にナームちゃんの学資、塾代を稼ぐため、公休日である日曜も他の家で家事労働をしている。
自分としては女中さんが1月毎にコロコロ変わった時の苦労を思うと、ブアさん、ニイさんの今のコンビがこのまま続けばいいなと思っている。だから世間並の給料は仕方ないか、さらに昇給が見込めるならば、ニイさんもナームちゃんの進学にお金がかかるし、やめることはないかも、と期待している。それに介護は介護する人を含め、環境が変わらないほうが望ましい。

ブアさんやニイさんは、今時、トイレの介助をする女中さんなんかいない、バンコクなら月2万バーツ以上貰える、などと脅かすのであるが、ここはバンコクでないしね、などと言い返す。まあこのやり取りは、伝統芸能みたいに何度も繰り返していて、深刻さは全くない。私たち、頑張っているんだからわかって下さいね、そりゃいつも感謝してるよ、と言い換えてもいい。タイ人(ニイさんはラオス人)にお金を貸したら返ってこないというが、二人には、例えば子供が失明しかけて治療費がない、といった場合、快く貸したし、返済もされている。助けられたり、助けたり、信頼関係構築は国同士ばかりでなく、家の中でも重要である。

■話し掛けは必要
2月から4月中旬まで弟夫婦がチェンライにいた。同じ団地に住んでいて、朝8時と夕方5時に我が家にやってきて、ベッドに上がって、何かと母に話しかけてくれる。せっかく日本からやってきてやさしい言葉をかけているのに、母の反応ははかばかしくない。

ブアさんは、朝になると母の夜中の様子を報告してくれる。概ね、ママさんが騒ぎ通しで、私はよく眠れなかった、という苦情が多いのだが、先日は、ママさんが夜中にハハハ、と声を上げて笑っていた、と嬉しそうに教えてくれた。

兄はそれを聞いて、弟夫婦の毎日2回の声掛けが刺激となって、母が少し回復したのではないか、と喜んでいた。兄も母の横で何かと話しかけるのだが、時には「そうかい」と答えたり、兄の名前を呼んだりするそうだ。
自分の場合、お母さん、具合はどうなどと言いつつ、手を握ったり、肩をさするのだが、どうも反応が心もとない。4,5年前のことになるが、朝、2階から降りてきた自分を見て、母が「ああ、お父さん、来てくれたの」といった。言葉の通じない女中さんに世話されていて不安だったのだろうか。「お父さんじゃないよ、息子のヒデキだよ」と言うと、母は不機嫌になって「わかってるよ」と言って横を向いてしまった。

認知症高齢者への接し方」というネットを見ると、「常に高齢者に対しては尊厳を持った態度で接し、その発言に対してはまず肯定をして受容します」と書いてある。兄や弟夫婦に比べ、母の自分に対する態度が素っ気ないのは、あの時の対応がまずかったせいだろうか。今更、反省しても仕方ないのだが。