介護ロングステイ7年5カ月
■変わらぬ毎日
チェンライへ来て7年5カ月経った。タイの季節は、ホット、ホッター、ホッティストの3つしかないというオヤジギャグがある。寒さを感じる乾季があるとはいえ、一年中、短パン、Tシャツで過ごす毎日、服装も気候もそれほどケジメがないため、チェンライに母子3名が到着した日がつい最近のように思える。
チェンライの生活が合わなければ、1月後にまた日本に帰ればいい、と兄を説得して異国に来た。タイでの介護に自信があったわけではない。老々介護に限界が来ていたし、かといって、母を人間らしく扱ってくれる介護施設を見つけることができなかった。押し出されるように、チェンライに移り住んだのであるが、母にも自分たちにもこういった落ち着いた生活が待っているとは思っていなかった。
ここ3年はブアさん、ニイさんの2名体制で、昨日と同じ日が今日も、そして多分、明日もという日々が続いている。3週間ほど兄が日本に一時帰国し、その間、10日ほどニイさんがラオスへ里帰りしていた。介護で人手かかかるのはトイレであるが、ブアさんは、近所の女中さんに顔が効くので必要な時にはヘルプを頼み、トイレ介助1回につき50B渡していた。もしニイさんがいなくなっても後任はブアさんが見つけてくれるだろう。
考えてみれば、7年以上、ブアさんはずっとこの家に泊まり込みだ。私がいなかったら、誰がママさんの面倒を見るんですか、と言われると、じゃよろしく、としか言えない。母の介護ばかりでなく、近所づきあい、電気電話代の支払いその他全部任せきりだ。
庭に一個1キロ以上もあるアップルマンゴーが沢山生ったが、ブアさんが棒で落として、ご近所や坊さんにタンブンしてしまった。袋掛けしていない実は虫に食べられてしまう、弟夫婦の分はちゃんと残してある、というのだが、マンゴーの配布までブアさんの施政権下にある。
■領域侵犯
女中さん、それも異国の人と一つ屋根の下で暮らすとなると、いろいろ問題がある。先ず、彼女たちは自分で決めた自分の仕事の範囲があって、その領分を侵されると不快に感じるようだ。
日本にいた時、食事を兄が作り、台所から居間までの配膳は自分の役目だった。食べ終われば、皿洗いもやった。ウズにいた時に、料理に目覚め、女性協力隊員を家にお呼びしてご接待したものだ。お世辞に決まっているが、中西さん、帰国したらレストランを開いたら、とまで言われたくらいで、炊事は、準備から後片付けまで苦ではない。
チェンライでは女中さんがご飯を作ってくれる。上げ膳、据え膳、まるで旅館に長逗留しているような落ちつかない感じだった。食事が終わって、そうだ、冷蔵庫にプリンがあったな、と台所へ行くついでに、用済みのお皿や茶碗をシンクへ持って行く。これが女中さんの気に入らない。お皿や茶碗を片付けるのは私の仕事ですからやらないで、と怒る。
また、朝夕は作ってもらうが、昼食は麺類を中心に自分で作ることにしている。昼食の準備にかかるとき、シンクに洗ってないどんぶりや鍋があると、反射的にスポンジと洗剤で洗い始める。すると、女中さんが飛んできて、私の仕事が済んでいないのに、勝手に炊事を始めるな、と怒る。
朝、ベッドの枕を元の位置に戻し、タオルケットをたたむ。これは女中さんのいるところでやると嫌がられる。テニスから帰ってくると、シーツがピンと張られ、枕やタオルケットの位置が微妙に変わっている。ベッドメイキングは彼女たちの領域なのだろう。
■違和感
食事はブアさんが用意するが、炒め物、味噌汁などを大量に作って、朝夕、全く同じものを出す。炒め物も野菜、豚肉を炒めてオイスターソースで味付けしたもの。いつも味は同じ。まあ時々、市場で出来合いのおかずを買ってくるので、おかずのバリエーションがないことはない。でも、これ、朝食ったのと同じじゃん、にはまだ慣れない。
朝、烏龍茶を淹れる。余ったお茶をペットボトルへ移す。冷やしておいて、テニスコートで飲む。午後はPCを見ながら飲む。美味である。ボトルの蓋はポリエチレン製で青や緑の色がついていて大きさにも違いがある。ところが、蓋の色、大きさがボトルとあっていない。女中さんが蓋を取って、お茶を冷やすのだが、冷蔵庫に入れるときに、適当に組み合わせる。蓋はボトルが違うとぴったり閉まらず、中身が染み出てくる。色くらい合わせて欲しい。
言いたいことはこの他にも沢山あるのだが、機嫌よく働いてもらうため、文句は言わない。人を使うのはラクではないのである。