チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

用語に注意

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用語に注意

■女中は差別用語
知人に介護生活を紹介していた時、自分の話を遮って彼が「今、女中と言ったけれどメバーンというべきではないか」と言った。口調から女中は差別用語じゃないか、という非難が読み取れた。女中は放送禁止用語となっている。でもこちらの邦人はお手伝いさんを女中と呼ぶのが普通のようだ。バンコクあたりではアマさんともいう。このブログでは女中をよく使うが、それはただ邦人仲間が使う単語に慣れてしまっただけ。決して左翼の人が言うところの職業的差別意識を持って女中と言っているわけではない。それでも自分で気にしていたのか、以前、放送禁止用語についてのブログを1本書いて自己弁護に努めている。

もともと「女中」の「中」は「宮中」のように、在野に対して位の高い場所を指した。そのため、「女中」は「宮仕えする女、宮中に奉公する女」という意味だったが、武家の時代には「将軍家、大名家に奉公する女」にも使われるようになり、更に時代が下ると「下女、女の奉公人」全般を指すようになったという。

これ、これ、お女中、と武士が娘に呼び掛けるシーンがあったが、最近は「お女中」は聞かない。「当時の事情を鑑みて差別的意図は無かったものと判断してそのまま放送いたします、云々」の断りテロップが流れる古い時代劇もある。何とも暮らし難い世の中になったものだ。「貴様」も文字通り、相手を敬う言葉で中世末から近世にかけて、武家の書簡には盛んに用いられたし、女性同士でも使っていた。でもいつの間にか相手を罵る二人称となってしまった。貴様もそのうちテレビから消えるかもしれない。
放送禁止用語についてはバカバカしいを通り越して、そこまでして人権活動家からの攻撃を恐れるのか、とある種の悲哀を感じてしまう。古典落語の多くは始めのお断りテロップがあっても放送されることはないと思う。

■ブアさんの指令のまま
何気なく女中と書いたり、言ったりしていたが、それが人に不快感を与えるのであれば、これからはメバーンということにしたい。メバーンを直訳すれば「家のお母さん」となる。我が家には女主人がいないものだから、ブアさん、ニイさんが主婦役をこなす。ブアさんは8年目、ニイさんだって我が家で働き始めて5年目に入る。それだけ発言権は大きくなっているように思う。

昨日も「明日、マッサージを家に呼ぶから、2時間揉んでもらわないか」と言う。これは兄弟2人に2時間ずつ、マッサージにかかれ、と言う命令に近い。兄弟二人の生活パターンは概ね把握されている。兄は週に1回ほどマッサージにかかる。そろそろマッサージに行くころではある。自分は人に体を触られるのが好きではなく、どちらかと言うとマッサージを敬遠していた。でも10日ほど前、コート上でボールを追いかけたとき、左大腿部後部、いわゆる左ハムストリングスに肉離れをおこした。短距離走のボルトと同じ部位だ。ネットで肉離れの治療にはマッサージがいいと知り、1週間前に揉んでもらった。改善はしているものの、またマッサージを頼む頃だ。ブアさんもそう判断したのだろう。
命令に従ってマッサージを受けた。家に来てくれて2時間マッサージしてもらって料金は一人200B。私が頼んでタイ人価格にまけてもらっているからね。ハイ、ありがとうございます。

■とにかく逆らわない
近所の冠婚葬祭では封筒にブアさんが指定する額を入れて、一緒にご挨拶に行く。母をトイレにつれて行く時、ソファに座らせる時、2階にいる自分に介助を手伝うように指令が来る。朝、味噌汁に入れるから、庭のモロヘイヤを摘んで来い、あるいは炒め物は貴方のほうが上手だから野菜を切って、などの指令が飛ぶ。ブアさんの買い物、お寺参りの運転手も唯唯諾諾と勤める。以前、「親に孝、女中に忠」と書いて人に笑われたが、状況は全く変わっていない。

ブアさんは時々、かんしゃくを起こして、もうやめた、バンコクで介護のメバーンをやれば、月収2万Bにはなる、などと言う。こちらも慣れているので、おー、そうか、そうか、それでいつバンコクへ行くの、とからかう。結局のところ、私がいなければママさんが困るし、という話に落ち着くわけだが、このやり取りは伝統芸能の如く何度となく繰り返されている。
おかず代が少ない、ケチだ、と怒りまくるブアさんを見ていると、あー、別れたカミさんもこんな風に怒っていたなあ、と懐かしくなる。女性が本当に怒っているときは逆らわない。言い返して事態が好転したためしはない。これを理解するまでに半世紀も要したと思うと我ながら情けない。



写真はアカ族のブランコ祭りから