介護ロングステイ6年
■ 変わらぬ日々
タイに来て6年になった。このところ母の調子は変わりない。8時にベッドから長椅子に移されて、着替えと清拭。そのあと食事、野菜入りお粥につぶしたバナナを茶碗に1杯、食後、暫く長椅子で休んでいるが、うとうとしてくるのでベッドに移って休む。午前中はほとんど寝ている。
女中さんはブアさんとニイさんの2人体制がここ2年以上続いている。ニイさんは7時半から5時半の勤務、日曜は休みだ。一方、ブアさんは24時間勤務で公休なし。ブアさんは、女中さん2名泊まり込み体制の時、2,3度、お寺にお籠りと親戚のお通夜で家を空けただけで、あとはずっと家に居ついている。介護に休みは無い。ブアさんが休みを取れば、その間、我々兄弟が介護をすればいいのだが、ブアさんが休みを要求しないことをいいことに、ずっと母の世話をしてもらっている。何年にもわたって「月30日24時間労働公休無し」はいくらタイでも労働基準法違反ではないか、と思うのであるが、私がいなければ誰がママさんの面倒を見るのですか、という本人の言葉に甘えて、昨日も今日も同じ日が続いている。
朝、我々の朝食の支度が終わり、ニイさんが出勤してくると、ブアさんは2階の空き部屋へ行って午前中いっぱい寝ている。夜中に何度も母の紙パンツ交換をするため、熟睡できないから仕方のないところだ。日中はニイさんが母の世話をする。母をトイレに連れていくときは2人掛り、時には自分もトイレで母を立たせたり、座らせたりの手伝いをする。女中さんたちは、ママさんがそろそろトイレに行きたい頃と先回りしてトイレに連れていく。時折、自分たちが街で買い求めてきた果物やお菓子を母に食べさせると、このトイレサイクルに支障が出るらしく、女中さんたちの機嫌が悪くなる。だから、母に到来物などを食べさせる時は、ほんの少量ということになる。母の好物はドリアンだが、年寄りにはよくない、それに肥ると言うので沢山は食べさせられない。
■明るい介護生活
認知症患者の平均寿命は認知症と診断されてから8年だそうだ。確か母の場合は78歳の時に認知症と診断された。現在89歳。認知症患者の平均余命をはるかに超えているのは、チェンライの気候もさることながら、女中さんのケアのお陰と言っていい。向精神薬を含め、薬は1年以上、何も飲んでいない。飲ませる手間もいらず、副作用の興奮が収まり、女中さんも喜んでいる。寝たきりで代謝量が少ないせいもあるが、お粥とバナナだけの食事でも体重は変わらない。タイ人の老人食はバナナというが、バナナはよほど体にいいらしい。
村では60代、70代の人の葬式があるのに、ママさんはケンレーン(健康)ですごい、100歳まで生きる、これでは私のほうが早く逝ってしまいそう、などと言う。女中さんが母より先に死ぬことは無いだろうが、100まで生きられると、兄や自分が先に逝くケースは充分に考えられる。
また最近の研究では親または兄弟がアルツハイマー病に罹った場合は、一親等にアルツハイマー病の患者がいない人よりも、この疾病に罹りやすいことが分かっている。この分で行くと、認知症親子の世話をすることになるかもよ、と言うと、それではお暇をとらせて頂きます、などと笑っている。女中さんたちのお陰で日本とは比較にならないほど明るい介護生活を送っている。
■認知症の質
厚生労働省が今月7日に発表した「認知症国家戦略」で示した推計によると、65歳以上の認知症の人は2012年時点で462万人。およそ7人に1人だ。これが団塊の世代が75歳以上になる2025年には、65歳以上の5人に1人にあたる700万人前後に増えるという。いま現在の高齢者は、戦前・戦中生まれの日本の混乱期をたくましく生きた人たちで、周りと協調し我慢ができる世代。
ところがこれから後期高齢者となる団塊の世代は、70年代安保の学生運動やバブルを経験し、豊かな日本を味わい、当然、自己主張も出てくるので、認知症にも違いが出てくるという。
「認知症は感情の自制心がなくなりやすいため、『今、歌を歌いたい』『俺はこれが嫌いだ』と、周りに迷惑がかかると思っても本能や欲動をとめられません。なので、自己主張の強い団塊の世代が75歳以上になる2025年には、一見、ワガママな、自分のニーズを主張するお年寄りがいまよりもさらに増加し、認知症の質が変わる」と日本社会事業大学大学院・今井幸充教授はいう。
ホントかね。母に「長生きしたね」と言うと「はい」と答える。認知症が遺伝するのなら自分も「はい」と素直にいえる患者になりたい。
写真は団地でのタンブン。坊さんが出張してきます。