■ 世界文化遺産
世界遺産の数は1000を越えている。世界文化遺産だけでも800近くある。100名山とかお遍路88カ所位の数なら全踏破も可能だが、これからも増え続けるのだから世界遺産全踏破はいくら体力、金力に恵まれていても、時間的制約があってなかなか難しい。日本にある世界文化遺産は現在14カ所。ブログには日本の世界遺産全踏破、といったものがあるが、自分は修学旅行の奈良、京都を入れても半分ほどしか訪れていない。明治日本の産業革命遺産を含め、暫定リストに10件以上ひしめいているから、これから日本の世界遺産を全部回ることはもう無理だろう。
でもタイに住んだおかげで、この度、タイ及びラオスの世界文化遺産をすべて踏破した。といってもタイの世界文化遺産は、アユタヤ、スコタイ、およびこの5月に訪れたバンチェン遺跡の3つ、ラオスのそれはルアンプラバン、ワット・プーの2つだけだ。それでも「世界文化遺産?、タイとラオスは全部回ったんですがね」、と何かの時に言えると思うと嬉しい。
■ワット・プー
ワット・プーは山の寺の意味。南ラオス、パクセの街からメコンを50キロほど下った川岸にある。川岸といっても今はメコンから数キロ離れている。アンコール・ワットを建造したクメール王朝は10世紀から12世紀にその栄華を極める。10世紀の初めころからクメール人は盛んに北へ進出した。ワット・プーには紀元前から何らかの遺跡があったと信じられているが、そこにクメール人がヒンズー教の石造寺院を建立した。アンコール・ワットより昔に建造され、アンコール・ワットのルーツとも言われている。このヒンズー寺院は、タイ、東北部ナコンラチャシマーにあるピマーイ遺跡と同じく、クメール王国の首都、シェムリアップまで一直線の街道で結ばれている。クメール王国の版図が如何に広く、強大であったかが分かる。カンボジア人は心の中でタイなんて野蛮なだけで文化的にはこっちのほうがずっと優れているんだ、と思っているだろう。そう思われても仕方ない。
パクセを出たのはいつものように8時、1時間ほどでワット・プーに着いた。入場料は確か5万キップ、日本円で700円くらいか。入場口から遺跡の参道まで電気自動車で運んでくれる。左右に大きな池が広がる。ここも遺跡の一部だ。白い水牛がノンビリと草を食んでいた。リンガが林立する参道をゆっくりと進む。目の前には聖なる山がそびえている。この山はバラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有される須弥山(しゅみせん)を表す。須弥山を中心に池や祠堂が左右対称に配置されている。東南アジアのクメール王朝における建築様式の共通要素である。
身を清める池といい、左右の崩れかけた祠堂といい、急な階段の参道といい、山の上にある主祠堂に至るまでの行程で参詣人は次第に厳粛な気持ちになってくる。9時過ぎではあるが日差しは強く、気温も高い。汗が流れる。
世界遺産だから人出は多いのではと思ったが、外人が2,3組、それにラオスかタイの若者グループが1,2組、そんなものだ。GW中であったが日本人は見かけなかった。参道の左右には祠堂があるが保存状態はよくない。山に向かって左側の祠堂はインド政府の支援によって修復作業が行われていた。アンコール・ワットでもインドが修復作業を行っていたと記憶するが、ヒンズー本家のプライドによるものか。
■主祠堂
遺跡は崩れかけている方が、味があっていい。石はピマーイと同じ火山石、赤砂岩が使われている。白人女性が遺跡をバックに交代で写真を取り合っていてなかなかどいてくれない。黒ずんだ石壁をバックにしたポートレートなら何割か美人に撮れることは確かだが。
主祠堂に至る300mの階段はほとんど絶壁と言っていい。階段の段差もまちまち、高いものは50センチもある。気温40度の午後に来たら、年と体力を考え、須弥山を拝んだだけで引き返したかもしれない。
山の上のテラスには小さいながらも格式を感じさせる主祠堂が残っている。祠堂の外壁にドヴァラパーラ(門衛神)、半裸の女神デヴァターの浮き彫りがある。もともとヒンズー寺院であったが、14世紀にチャンパ王国のラオス族がこのあたりを支配したため、主祠堂にはシヴァ神に代わって仏像が安置され、現在もラオス仏教徒の厚い信仰の対象となっている。残念なことにこのお釈迦様が、その辺のオジサンという風貌でちょっと脱力。
主祠堂からチャンパッサク平原とその向こうのメコンの流れを遠望できる。ここまで登ると木々を渡る風は爽やかで、登攀の苦労が報われたという感じがする。
写真は「須弥山を臨む」「どこうとしないファラン達」「主祠堂」「ドヴァラパーラ」「ドヴァラパーラ」「主祠堂のご本尊」