チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

雨宿りと翻訳

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雨宿りと翻訳

■ 音楽を聴きながら
3300キロ余りを走って、ツーリングの爽快感を味わえたのは主としてタイに入って走った約1000キロだろう。何しろ道路が格段に良くなって、危険を感じることが少ない。英文の案内板もある。

ツーリングに行く直前に、フォルツァの左ボックスの奥に電源ソケットがあることを発見した。ここにUSBアダプタを差し込むと走行中にデジカメやICレコーダの充電ができる。ICレコーダには音楽ソフトが入っている。タイに入ってから走行中、イヤホンで音楽を聴くようにした。モーツアルトから津軽三味線まで幅広いジャンルの音楽が入っている。1時間走るとCD一枚分が終わる。

NさんのPCX150は80キロの定時走行であるから、やおらフォルツァのをスロットルを吹かして120キロで追い越す。いずれにしても道路は1本、かなり先行し、そこでスクータを停めて一休み、水を飲んで、残った水で体を濡らす。ICレコーダの音楽選曲を行い、イヤホンを耳に突っ込んで、ヘルメットを被り、NさんのPCX150を待つ。一瞬のうちにNさんが目の前を通り過ぎていくが、慌てることなくエンジンスタート。向こうは80キロ、こっちは120キロ、すぐ追いついちゃうよー。

ウドンラチャタニからムクダハンに抜ける道路で、警察の検問があった。先を行くNさんが一言二言、警官に言うと、警官は、行け、という動作でNさんを通した。すぐ後ろを走っていた自分はイヤホンで日本歌謡大全集を聞いており、丁度、藤島恒夫の「月の法善寺横丁」が頭の中をガンガン駆け巡っていた。包丁一本、晒しに巻いて 旅に出るのも 板場の修行・・・。Nさんに続いて自分もすぐ通してくれると思ったら、サングラスの警官が何か問いかけてくる。両耳はイヤホンで塞がれているから全然聞こえない。ヘルメットとイヤホンをとって「アライナ?(何ですか)」と聞いたら面倒なことになりそうだ。

こいさんがわてをはじめて法善寺につれて来てくれはったのは「藤よ志」に奉公にあがった晩やった、はよう立派なお板場はんになりいやゆうて、長いこと水掛け不動さんにお願いしてくれはりましたなあ・・・・。

頭の中はすっかり上方モード、何を言っているかわからなかったが「イープン、イープン(日本、日本)」と大きな声で答えたら、片手でぞんざいに行け、の合図。多分、「どこへ行くの」と聞いたのだろう。

■雨宿り
ムクダハンでメコンに張り出したレストランで昼食をとった。昨日のパクセから300キロほどメコンを遡ったことになる。対岸にラオスのサバナケットの街が霞んで見える。サバナケットはタケークとパクセの間にあり、今回は通り過ぎただけだった。このあたりの川の色は赤茶色に濁っている。インドシナ半島の紅土といわれるラテライトが雨や河川に浸食されて流れ込んでいるためだ。
ムクダハンを出て暫くしたら空が黒い雲で覆われて、ポツポツと雨が降ってきた。雨季の雨は空の色も雨粒の大きさも半端でない。稲妻と雷鳴が近くに聞こえる。Nさんが休みましょう、と言って道路沿いのバス待合小屋にスクータを停めた。雨は恐くないが雷は怖いという。自宅にいた時、落雷があり、見ていたテレビがバチンと消え、以後、2度と映ることはなかったという。午後2時というのに辺りは真っ暗、小屋には屋根があるのに体も頭も濡れてくる。

雨宿りした場合、いつも「本降りになって出ていく雨宿り」、それに「急がずば 濡れざらましを 旅人の後より晴るる 野路の村雨」という川柳、和歌を思い出す。この時期のスコールならば、短時間で晴れるから後者のように、慌てず、雨が上がるのを待てばよい。

それにしても「村雨」とはいい言葉だ。驟雨、白雨、通り雨、いくつもにわか雨の同義語がある。タイ語ならフォントック・ナックか、フォントックは雨、ナックは重いという意味だから英語のヘビィ・レインと同じか。

■ながめせし間に
降り続く雨を眺めながら、ぼんやりと頭の中で「月の法善寺横丁」を英語に訳し始めた。

When Koi-san took me to Hozen –Temple was the night of the first day I started working to Japanese restaurant, Fujiyoshi, as an assistant cook・・・・。 
こいさんが私を法善寺に連れて行ったのは、私が和風レストラン、フジヨシに調理師見習いとして初出勤した日の夜のことだった。

何だ、これは? 「わて」と「こいさん」の関係が翻訳では分からない。「奉公」と「出勤」ではニュアンスが違う。何といっても嫋嫋たる上方言葉からにじみ出る若い二人のひたむきさは伝わらない。うまく説明はできないが、この歌は「いとはん」ではいけない、こいさんだからセリフが、歌が生きる。

もう上がりそうだから先を急ぎましょう。Nさんに促されなかったら、ずっと下手な翻訳を続けるところだった。



写真はムクダハンからサバナケットを臨む。ホテルを探す。法善寺と水掛け不動。