チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

世界遺産、ワット・プー(2)

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世界遺産、ワット・プー(2)

■開発途上
世界文化遺産ワット・プーの正式登録名称は「チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群」という。

ワット・プーと周辺の遺跡群(寺院、神殿)、シュレストラプラ(ワットアンカウ村)で構成されており、その面積は390平方キロに及ぶ。東京23区の3分の2の広さだ。ワット・プーの周辺にはホー・ナン・シダとホウン・タン・タウという遺跡があるが、 そこまで行くのには結構な苦労を要するらしい。 かなり歩くため、最低でも十分な水や帽子は必要。 周囲は草地や田園、林などが広がっており、道はないようなもの。 どちらの遺跡に行くにしても、時折見かける農作業中の人に聞きながら行くしかない。 小さな小川を超えて行かねばならないので、自転車では通ることはできない。 特に、ワット・プーから見てメコン対岸のホウン・タン・タウへの道は完全に田んぼで塞がれている、と10年ほど前の旅行情報にある。まさに秘境だったと言える。

ワット・プーのあるチャンパサックは18世紀から20世紀半ばまでチャンパサック王国の首都であった。でも世界遺産となったのは7世紀から12世紀のクメール時代の遺跡が対象。別にラオス政府が承認したわけではないのに、いつの間にか世界遺産に登録された、とウィキペディアに書いてある。ラオスにしてみれば、遺跡といってもラオス人とは関係ないクメール人が作ったんだし、ということだろうか。そう言えばもう一つの世界文化遺産、ルアンプラバンも、その選定理由に19世紀、20世紀のフランス様式の建物が残っている、とある。外国人が建てた宗教施設と植民地時代の名残が自国の世界遺産ではあまり観光に力が入らないのは無理からぬことか。

■湧水とサクラ
主祠堂で大量の写真を撮った後は、堂の背面にある大きな岩に行く。この岩の下部の隙間から聖水といわれる湧水が今でも出ている。昔はもっと流量があったのか、祠堂まで水道が引かれていたそうだ。この聖水の出る岩は断崖で20mほどある。見上げると崖の途中から白い花をつけた木が張り出していた。タイ人のカップルが「あれは何の花だろう?」、「サクラじゃないか」などと話しているのが聞こえたので、思わず「メチャイロー(違うんじゃない?)」と言ってしまった。似ているのは色だけで、花の大きさも形も全く違う。桜は冬の間、10度以下の気候が長く続かないと花が咲かない。熱帯の南ラオスでは日本から移植しても花は無理だ。

■ワット・プー博物館
ワット・プーでは参道入り口でNさんと別行動となった。見る場所は同じだが撮影対象、撮影時間が微妙に違う。主祠堂で自分はテラスからメコンから吹き上げる涼風を楽しんでいたが、Nさんは祠堂裏手の岩に刻まれたワニのレリーフなどを探していたという。その昔、このワニの前で生贄がささげられたという。前日にワット・プーの名をNさんから聞いたというくらい無知であったが、彼はしかるべく下準備をしてきたようだ。

入場券売り場左手に瀟洒な建物がある。ワット・プー博物館だ。この博物館は、2001年から2003年にかけて、日本政府からラオス政府への協力の一環として建設された。この建物は適度な大きさに制限され、考古学的な損害を与えないように、また、神殿の高台からメコンへの景観を損なわないように考慮されている。靴を脱いで冷房のきいた館内に入って見るとワット・プーで発掘された仏像や9世紀のものというパーリ語の碑文などが展示されていた。別室にラオス語と英語で書かれたパネルが展示されていて、その内容はかなり充実している、遺跡を見物する前にこの説明をよく読んでおけば、興味も一段と増すし、同行者がいればガイドとして一目置かれることになる。

ファランの給仕で
9時に着いたが、涼しい博物館で時間をとったため、ワット・プーを出たのは昼過ぎだった。昼飯はどこで、と思っていたら先を行くNさんのスクータがUターンしてメコンに面した食堂に入った。自分は気付かなかったが、唐辛子を炒める芳香が漂ってきたのだという。バイク走行ならではの嗅覚による食堂選定だ。店主は60過ぎのファラン、ベルギー人という。アントワープに何度も行ったことあるんだよ、と言ったら、あなたはダイヤモンド関連の仕事をしていたのか、と聞き返された。

どうしてこんなところにファランが、と思ったが、20代のラオス女性を見て納得。すごい美人だ。彼女の指示で、彼がビールや皿を運び、2歳くらいの赤ん坊をあやしている。

タイでも奥さんの命令に従って暮らしている邦人は少なくない。だが本人がそれで幸せならば言うことはない。




写真は主祠堂と破風のビシュヌ神、テラスより平原とその向こうのメコンを臨む、参詣道、男性のシンボル、リンガの林立する参詣道、博物館の展示パネルから