チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

水掛けその後

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水掛けその後

ラオスをスクータで
この原稿がアップされている頃、まだ旅行中かもしれない。予定では4月22日に家を出て、隣県ナーンのフアイコンからラオスに入り、国境の街、サナブリに一泊、次の日に首都ビエンチャンを目指す。それからはラオスメコン川に沿う形で南下してカンボジア国境まで行く。ここまでは決まっている。西に進路を取り、タイに再入国するつもりだが、国境によってはタイ入国を認めない場合がある。最悪、ビエンチャン方面に後戻りすることになる。ラオスはノービザで14日間OK、余裕を見てラオス国内には10日ほどの滞在になるだろう。どのあたりでタイに入国するか、また疲れ具合にもよるが、タイ国内を2,3日ゆっくり走って帰宅というところか。

昨年4月、単独スクータ旅行を企て、ラオス山中で死にかけた。今回はバイク旅行のベテラン、Nさんと一緒なので安心だ。Nさんはタイを南にバイクで下ってマレーシアに行ったこともある。ラオスのジャール高原にも行っている。先達はあらまほしき、だ。グーグルマップを使うためタブレットを購入したが、使いこなせないうちに故障してしまい、修理に出したまま2カ月以上経っている。携帯もラオスでは使えない。

迷子になったらどうやって連絡しますか、とNさんは困惑顔だったが、ひたすらNさんのスクータに付いてまいります、と懇願して同行を許してもらった。一応、国道しか走らない訳だし、道路が何本もあるわけではなし、何とかなるのではないか。そういう態度だから、これまでひどい目にあってきたのではないか、と言われそうだが、心配ばかりしていては頭が禿げるだけで旅行などできない。

戒厳令解除になったが
チェンライのソンクランは盛り上がらなかった。寒かったせいもあるが、陸軍が祭りに参加したので市民が白けたという話もある。力の誇示は軍隊には必要だが、子供の水掛け祭りに放水車が出て何になる。

タイの新聞には政府批判はほとんど出ない。最近のバンコク週報に「戒厳令解除される、対外イメージ改善で観光業復興、タイ一般市民は軍政に高評価」という記事が載っていた。ただし、戒厳令は解除されたものの、解除に合わせ、プラユット首相は自身に事実上無制限の権限を与える暫定憲法44条を発動。これにともない、軍に戒厳令下同様の法執行権限を与えた。つまり、「戒厳令」の名称は消えたものの、これまで通り、政治活動の禁止、集会禁止、言論報道統制、逮捕状なしでの身柄拘束、不敬罪や安全保障に関する市民を対象とした軍法会議による裁判などが継続する。日本では「政府の圧力」を巡って古賀、古館氏の内ゲバがニュースになったが、タイだったら、この二人はとっくに刑務所に入っている。

あまり書けないが、軍事政権の評判はよろしくない。軍事政権に代わってから1年ビザ更新の手続きが煩雑になったり、メーサイの屋台が取り払われたり、警察の交通取締が頻繁になったり、と締め付けが強くなっていることを個人的にも実感する。

プラユット首相は、最近バンコクで行われたセミナーで、「政府の成果は何ですか?と記者に聞かれ、聞いてきた人の顔を殴りそうになった。これだけ色々やってきたのに、見てないとはどういうことだ」とメディアに不満をぶつけた。プラユット首相はぶっきらぼうで短気、記者会見の最中に怒り出し、机を叩いたり、言葉を荒らげることもしばしばだ。
それでもタイのメディアは 「ただ、率直で裏表がないというイメージと、タイ人独特のユーモアで、国民の間で一定の人気を保っている。」という一文を付け加えるのを忘れない。朝日や毎日もタイのメディア並みに「ただし、安倍政権は国民の間で一定の人気を保っている」と記事の最後に付け加えて欲しいものだ。

■やはり盛り上がったソンクラン
チェンライでは16日以降、水掛けはピタリとやんだ。だが本日(4月18日)まだパタヤではハチャメチャな水掛けが行われていると友人が知らせてきた。バンコクも暑かったから盛大な水掛けがあったようだ。

以下はニュースクリップから

タイ正月期間中の交通事故死傷者数、前年を上回る
関係当局の発表によれば、タイの旧正月ソンクラン(4月13日)を挟んだ1週間(4月9-15日)に全国で3373件(2992件、前年同期・以下同)の交通事故が発生し、364人(322人)が死亡、3559人(3225人)が負傷した。事故原因は、飲酒運転が39%とトップ。次いで速度違反の24%。また、全体の81%がオートバイ絡みの事故だった。

出発前5日で6本の原稿を書かねばならず、今回もコピペ中心の原稿となってしまった。手抜きをお詫びしたい。



写真はプラユット首相と2年前の水かけ祭りから