「ウズベクのバザールから」2006年10月16日アップの原稿に加筆して再録。
宿題
■成績の付け方
ウズベクの学生にテストをすると必ずカンニングをする。だからテストで全員に同じ問題を出題するというのは論外だ。みんな同じ答えでカレッジのテストの意味が無くなる。カンニング防止のため、入学試験でも試験用紙が30種類くらい用意されていて、隣の人の解答用紙を覗き込んでも意味がないようになっていた。ロシアでのテストは、先生の前に用意されたいくつかの紙の紙縒りのなかから1本引く。そしてその紙縒りに書かれている問題について口頭試問を受けるというやり方が普通だそうだ。これならばカンニングはできない。自分の場合、口頭試問をするには時間がかかるし、ウズ語もできないので無理。試験問題を30題用意するのも能力的に無理、ということで生徒の関心事である成績付けは出席点および提出物重視ということにした。こちらで課題を出し、レポートを次回に提出してもらう。クラスの全員にAを与えても、全員、とりあえずDの落第点で追試を行うのも教師の自由。自分は8割のレポートにA評価をつけて返却していた。そもそも何を基準にベンチャー論の成績をつけろというのか。
■レポートの課題
語学や経済理論は暗記が重要であり、覚える事に意味があるといってもいい。しかしながらベンチャー論は起業家の成功例などをいくら覚えたからと言っても、それが自分の起業に応用できるとはいえない。つまり知識((knowledge))はほとんど役に立たない。決断力や構想力といった知恵(wisdom)に属するものが重要になってくる。知恵は教えることはできないが、知恵を生み出すための道筋、ヒントは教授可能かもしれない。知恵を生み出すのは自分の頭しかない。それで生徒には自分の考えで何かを書かせるという方法を取り入れることにした。まず起業家には仕事を通して世の中に役に立ちたいという強力なミッション(理念)が必要だ。「利益を上げる」はミッションにはなりえず、人は付いてこない。
そこで、政治学者櫻田淳氏が日本の大学生に課しているレポートの課題をそのまま借用し、宿題とした。
その課題とは以下のようなものである。
「ある日、ある富豪が貴君に10億円を提供すると申し出てきました。ただし、次のような条件が付いています。(1)貯金に回してはいけない(2)〇〇(住宅、自動車、株…)を買うという使い方をしてはいけない-。さて、貴君は10億円をどのように使いますか」
20歳前の若者にとっては無論、多くの市井の人々にとっても、10億円という「富」は、誠に縁遠いものであるけれども、ビジネスの世界で成功を収めれば、そうした「富」は決して手の届かないものではないであろう。
既に「富」の恩恵に充分に与った上層の人々に要請される作法とは、その「富」を広く社会全体の利益のために生かす構想を用意し、その構想を実現に移すことである。カーネギー、ロックフェラー、ビル・ゲイツ 、日本においても大原孫三郎等、多くの成功者が社会活動に多大の貢献をしている。ウ国の生徒は10億円のお金を社会貢献に使うという、持てる者のミッションに思い至るであろうか。
■ミッションの理解度は1割
ベク君の通訳で7,80枚、すべてのレポートの概要を聞いてみた。奨学金制度を始める、学校を作る、スポーツ振興に使って国民に元気を出してもらう、イザベラ女王のようにこれからベンチャーを起こす人を支援するといった社会貢献に触れたレポートは1割程度だった。大半のレポートはそのお金を元に縫製会社を起こす、銀行を始める、広い農場を開くといった起業を考えたものだった。その理由は少しでも雇用を増やしたいというものである。
この国の失業率は政府発表では0,3%(2004年)となっているが、実際は40%を越えるだろうといわれている。なぜこのような乖離があるかといえば、失業中ということは大変面目がないことなので、給料は要らないが雇用関係があることにしてくれ、わかったという了解が会社の失業者の間にできているらしい。だから調査をしてみると、XX会社に勤務中、と答える人ばかりなので、とてつもない低い失業率になるわけだ。
40%の失業率だとすると、生徒の周りにも職のない人は沢山いるだろう。もしかしたら父親が失業中であるのかもしれない。
「雇用を作ることはりっぱな社会貢献ではないでしょうか」と言い張って譲らない生徒を見て少し心が痛んだ。
写真は「バンクカレッジ」「同プレート」「教え子」「同」「何を教えているのやら」