チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

最後のメール配信

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最後のメール配信

鶏の鳴き声で目が覚めた。明るくなるにはまだ時間があるらしい、タシケントにいるのもあと2,3日だけだ。持ち込んだ本はすべて法科大学の図書館に寄付してしまった。もうあまり着る機会のないだろう背広は処分し、シャツやセーターは仲間のSVが貰ってくれた。持ち帰るものはパソコンといくらかのお土産だけ。

チョルスバザールの東1キロくらいのところにあるモスク、クックチャのミナレットから朝のお祈りを呼びかけるアザーンがかすかに聞こえてくる。モスレムの国にいるのだという気持ちになるときだ。もう聞くこともなくなるのだと思うと、アザーンさえ懐かしく、愛おしく感じてしまう。海外留学はおろか駐在経験もない自分にとって、外国でパーマネントの教職につくということは無謀だったのかもしれない。

技術移転可能な農業、スポーツ指導、看護教育、日本語教育などと違って、自分の教えたベンチャー論は社会科学であり、教えた成果がすぐ眼に見えるものではない。逆に生徒がすぐに起業したとしたら、それは教え方が悪かったと言わなければならない。実務経験も、信用も、また資金もほとんどない若者が起業してうまくいくほど世の中は甘くない。

結局、カレッジでは他の先生たちが力を入れている「ビジネスプランの書き方」は教えなかった。彼らが本当にビジネスを起こすときに、それはインターネットや本を読めば分かることだ。小手先のハウツーものよりも、起業を通して如何に社会に貢献するか、賛同し、協力してくれる人をどれだけ集められるか、というベンチャーのミッションを説いた。すぐに役立つことはないだろうが、先駆者の志を紹介することによって、閉塞感の強いこの国の若い人たちを励ましたかった。

教えるということは知らず知らずのうちにこちらの哲学を押し付けることになる。こういったビジネスがないのはなぜだろう、こうすれば世の中の人が喜ぶのではないか。起業のアイデアの源泉は、なぜ? どうして? それだからどうなのか?といった疑問を持つことから、と教えた。しかし、それは生徒によっては「私はこの国の政治に疑問を持ちました」ということになりかねない。疑問を持つことがその生徒の一生を不幸にしてしまうことにもなる。そういうことまで考えながらこの2年間授業をしただろうか。

教室の中では教師は権力者である。曲がりなりにも生徒は黙って聞いてくれる。それをいいことに無意識のうちに横暴に振舞い、彼らを傷つけることはなかっただろうか。生徒ばかりでなく、隊員やSVやこちらで出会った人たちにも無礼なことを言ったことがあるに違いない。皆、心の広い人ばかりだから許してくれていたのだろう。

生徒が食い入るようにじっとこちらの話に聞き入っていることがある。そんな時、いたたまれない気持ちになった。たいした話ではない、もっと批判的に聞けよ、それ、おかしいんじゃないですかという質問をなぜしないのか。世の中100%正しいことなどない、特に経営学など怪しい学問だ(と自分では感じている)。真剣に聞き入っている生徒に、金八先生のように「君たちはねぇ、これから大きくなればわかることなのです」などとしたり顔で言えたらどんなにいいだろうと思ったものだ。それ程、自分は厚顔になれなかった。

多分、自分は教職に向いていないのだろうと思う。サラリーマンにも向いていなかったようだし、それでは君は何ができるんだといわれると困ってしまうのだが・・・・

ベンチャーではないが自分の意思でウズベクに来た。自分のいいと思った方法、内容で2年間授業をした。全国6ヶ所の地方カレッジでの講演も行ったし、2回のワタツミツアー(授業の一環)もやった。すべて処分したが、これで1時間は授業できるなあ、という英単語や書き込みで一杯の講義案を何十枚も作った。

あと何年生きられるかわからない。でも死ぬ時、ウズベクの2年間をきっと誇りを持って思い出すことができるだろう。もう後悔はしない。ウズベクでは日々、できることを精一杯やった。すべてのSVがそうであったように。

それを支え、励ましてくださった多くの友人、関係者に深く感謝して、2年にわたって207回続きましたメール配信をここに終了させていただきます。長らく駄文にお付き合い下さいまして本当に有難うございました。

メールでの配信は今回の206号が最後と成りますが、当ブログのほうは帰国してJICAに帰国報告を済ますまで、しばらく書き込みを続けるつもりです。

画像はお彼岸に行ったタシケントの日本人墓地です。日本から贈られたソメイヨシノがきれいに咲いていました。「日本人墓地」については昨年三月の記事でご確認ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/30404146.html