チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タンブンに励む

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タンブンに励む

■今年もちょぼちょぼと
どうでした、今年は?と知人が尋ねる。ランパンに向かう車の中である。ウーン、どうですかね。答えに窮す。今年はあちこちに出かけたような気もするが、外国は4月のラオスだけ。スクータで行ったので海外というわけではない。

概ね閑居していたが、不善をなすほどでもなく、タイ語の授業とテニスで日が過ぎていったように思う。タイ語を使って何か仕事やボランティアをしようといった気概、目的が無いため、上達しない。今でもタイのテレビを見て、時折知っている単語がでてくるなあという程度。テニスもこれからウィンブルドンを目指すわけでない、体を動かし、皆と楽しくゲームができればいい。そんな考えだから、それほどうまくはならない。無理して球を追って、また足首を骨折しても詰まらない。

ほどほどの生き方である。若い時はこういった可もなく不可もないような生き方に憤りを覚えたものだが、今は「お若いの、しっかり頑張って下されよ、ワシはもう消えゆく身じゃからの」と、呟くのみである。

■真摯に人生を考える人
で、今年、少しは違ったことがあったかと問われれば、まあ強いて挙げれば、お寺によく行くようになったことですかね、と答えたい。

ベッドに片肘ついて、ぼんやりしていたことがあった。そこへブアさんが入ってきて、何を考えているのかと聞く。今夜のおかず、ブログ原稿のこと、ラオカオの残りが少なくなった、こんなことを考えていたのだと思うが、「チーウィットアライ(人生とは何か)、クワームスクアライ(幸福とは何か)」と静かに答えた。するとブアさんが感動した面持ちで出ていった。

それからブアさんにあちこちのお寺に連れて行かれた。寺の住職に「この日本人はママさんの世話をしながら、人生について深く考えている」と住職に紹介する。坊さんも「ホー」と感心してくれる。家の近くには数か所のお寺があり、そこでイベントがある度にタンブンに行く。すっかり坊さんと顔なじみになった。坊さんによっては握手どころかハグまでしてくれる。ブアさん一人で行くと「どうしてあの日本人は来ないのか」言われるほどだ。

早朝、団地内にはだしの坊さん達がタンブンにやってくる。町内会長のナーさん始め、信心深い住民がお菓子や果物、炊きたてのご飯などを坊さんの鉢に入れる。このタンブンにも参加する。団地内には数人の邦人がいるのだが、タンブンに参加するのは自分一人である。団地の人にも「ママさんの面倒を見ながら人生を深く考えて云々」の宣伝が効いているので、自分で言うのもどうかと思うが、団地内での評判は大変よろしい。

■お寺が好きになる
自分はそれほど宗教的な人間ではない。昔、家族が初詣に出かける時も寒いからと一人で留守番していたくらいだ。タイに来てお寺に行くようになったのは、やはり、ブアさんの影響である。彼女は典型的タイ仏教徒で、タンブンが生甲斐ではないかと思うくらいタンブンが好きだ。タンブンの日は朝から元気溌剌だ。機嫌良く母の世話をしてもらうために、ブアさんに迎合しているところはある。それに、もしママさんに何かあればご近所や坊さんにお世話になるのだから、と半ば脅されているので、タンブンに同行しない訳にはいかない。

初めはいやいやという感じもないではなかった。でもタンブンのお陰でママさんが健康に暮らせる、亡くなったオトーサンが極楽で白いご飯を食べられてディジャイ、ディジャイ(嬉しい、嬉しい)と言っている、と聞かされ続けていると本当かなあ、という気になってきた。大混雑のスーパーでぽっかり一つだけ駐車スペースが見つかった時など、ああ、これは日頃のタンブンのお陰か、と感謝の気持ちが湧いてくる。テニスに行く途中にお寺があり、金ぴかの釈迦座像が遠望できる。運転しながら、片手でお釈迦様を拝んでいる自分に気づくことがある。

体だけではなく精神的にもタイ化してきたのではないか。一茶の「ともかくもあなた任せの年の暮」の「あなた」とは阿弥陀如来のことという。何でも自分の思い通りに行くわけではない。ただ今あることを感謝する。タイ化したのではなく晩年の一茶の心境に近くなってきたのだろう。

ランパンはその昔、ハリプンチャイ王国の都があって、今でも多くの名刹が残っている。寺巡りが目的でわざわざランパンに行った。1月2日はブアさんと100キロ離れたビアンカロンのお寺に参ることになっている。皆さまにとっていい年でありますよう、とお祈りしてくるつもりである。



今年も拙文にお付き合い下さり、ありがとうございました。1週間お休みをいただきまして、新年は1月5日より再開いたします。それでは一つよいお年を。




写真はタイ各地のお釈迦様