介護ロングステイ5年11カ月
■年の暮
急激に発達した「爆弾低気圧」の影響で日本列島は大荒れ、東京も冷え込み、雪も降った。チェンライもこのところ、最低気温12,3度、最高気温が25度を越さない日が続いている。山では国から山岳民族に毛布の無料支給が行われているだろう。もう足掛け6年もタイに住んでいるから体はすっかりタイ化している。寒くてたまらない。毛布の無料支給はもちろん、コタツが欲しいくらいだ。昔は、暮はやはり寒くなくっちゃ、と友人や同僚と元気に鍋をつついていたものだ。日本の美風、忘年会からもすっかり縁が無くなってしまった。
タイの田舎に住むと、近所づきあいが大変と聞くが、自分の住んでいた品川区もご近所の目がうるさく、暮れになると正月飾りを買うのは27日、一夜飾りは縁起が悪いとか、町内の決まりに見えない圧迫を感じた。また最後のごみ捨て日は何日と決まっていて、遅れて出そうものならうるさ型のおばさんたちに何を言われるかわからなかった。
仏教国ではあるがスーパーに行くとクリスマスツリーが飾られ、店内にはジングルベルが鳴り響き、レジのお姉さんたちが赤い帽子をかぶっている。それでも師走という切迫感を感じないのは借金取りが来ないせいではなく、年末年始がこの国ではそれほど大きな行事ではないからだろう。タイではいくつかの正月があるが西洋暦の正月は日本ほど重要ではない。やはり4月のタイ正月のほうが盛り上がる。
■正月準備
暮れも押し迫ると、母が正月料理に腕をふるったものだ。もう年だから来年はやらない、と毎年言いながら暮れになると叩き牛蒡や黒豆、煮しめなどを重箱6つ分くらいのおせち料理を作っていた。母が作らなくなってからも、店で買ってきた料理ばかりではなんとなく味気なく、何品かは兄が代わりに作っていた。
チェンライには日本食材店があり、紀文の蒲鉾や大吟醸酒など正月に欠かせない食料品が調達できる。また牛蒡や蓮根、丹波の黒豆も、手に入れようと思えば現地生産の品がある。ウズベクでは冬の野菜といえば人参、じゃがいも、玉葱の3つしかなかったことを思うとタイは天国だ。
パック入りの日本製の餅もあるが、例年、正月の餅はチェンライ日本人会の歳末餅つき大会で手に入れている。米はタイのもち米カオニャオであるが味は変わらない。ただ気候のせいもありカビが生えやすいので、正月まで冷凍室に入れておく。来年も母に雑煮と吟醸酒を少し口に入れてあげられることと思う。まあ餅と日本酒があれば満足であるが、出し巻き卵、煮しめなど作って少し、正月気分を盛り上げたい。
■保温は万全
ここ半月、急激に冷え込んできたので、母は厚手の毛布、布団、さらに頭もふとんですっぽり覆われて寝ている。おでこから顎までが外気に触れていて、まるでコケシ人形かアステカで掘り出されたミイラのようである。でも体裁はどうでも暖かいのが一番。食事のときは長椅子に座るのであるが、長そで、長ズボン、厚手の靴下、さらに毛糸の帽子を女中さんが被せている。食事が終わると暫く座って休む。そのあとはベッドでまた寝る。日中でも寝ていることが多くなった。日中寝すぎると、眠れないのか夜中に声を出している。
夜、寝ないのは日中寝てしまうからで、昼間、寝かせないようにして下さい、と医師に言われたことがある。でも眠りたいときに寝て、目が覚めていれば起きている方が本人にとっていいのではないか。自分だったら、もう先がないんだから、寝起きくらいオレの自由にさせてくれ、と言うだろう。
夜中じゅう声を出していると、女中さんが昨夜は眠れなかったと言って少々機嫌が悪くなる。女中さんも文句は言うがそこはわかっているので、昼食の時間、母が寝入っていると無理に起こすようなことをせず、少し遅らせて、空腹で母が目覚めたころを見計らって食事にしている。
日本の老人施設、病院では食事時間が決まっている。その時間内に食べなければ食事は無しということになる。食事を取らなければ点滴になる。点滴では満足な栄養は取れないから、次第に衰弱して3カ月以内に「天寿を全うされました」、といった仕儀になっていたはずである。
「病室に母をのこして年の暮」という句に胸を衝かれたことがあった。そんな思いをしないで済むだけでもチェンライに来た甲斐がある。今年も多くの人のお陰で親子共々変わらぬ日々を過ごせた。四方に向かって「ありがとうございました」とお礼を言いたい。
写真は朝靄のタンブン、月曜の朝に同じ坊さんがきます。靄が出る日は日中は快晴となります。