職人気質
■編集者がいないので・・・
9月初めにチェンライから70キロほど北のセンジャイパタナ村に行った。アカ族のブランコ祭り見学のためである。1泊2日の訪問だったがレポートは初日の夜で止まったままだ。そのうち記憶が薄れて続きが書けなくなり、アカ村滞在記が尻切れトンボになる惧れがある。心の中では書かなくちゃ、と思うのであるが、執筆を督促する編集者がいるわけではないので、ついつい怠惰に流れていく。
ある大学の先生が教えてくれた。「我々の業界で本を出すでしょ、その本の後書きに『XX出版の編集者、○○さんには大変お世話になった』と書いてあったら、その先生が書いたのではなく、○○さんがその本を書いたと言うことだよ」。
編集者は先生の黒子として、必要な資料、データを集め、原稿の下書きもする。歴史や経済の本ならこうできるが小説や漫画だと下書きができない。その場合でも作家の先生が喜びそうな資料をお持ちし、良好な関係を作る。
妖怪漫画の水木しげるさんに出入りしていた編集者は、江戸時代の妖怪本などを探し出してきて、「先生、こんなものが手に入りました」。すると水木先生は相好を崩して「ホー、ホー、これはすごい。君のところにも原稿を書かんとな」ということになる。
■W大学に対する我が偏見
何処の世界でも真面目に、それも上の人に気に入られる仕事をし、目を掛けてもらえなければ出世は難しい。まっとうなビジネスの世界なら、結果は「利益」というわかりやすい判断基準があるので、ある程度の公正さは担保される。失敗ばかりして会社に損を掛けている社員なら、どんな上役だって目の掛けようがないだろう。
ところが言論の世界では会社の空気に従って上役に気に入られる記事を書き、それが間違っていて世の指弾を浴びようとも組織の中ではいいところまで出世できる。それが朝日の誤報問題で分かった。結果として購読、広告収入が減り、組織に多大の損害をもたらしたが責任の取り方はあいまいだ。しっかり退職金をもらい、再就職先を世話してもらった関係者もいる。
ウズベクにいたころ、JICAの仲間とよく宴会をした。会場として、ナボイ劇場近くの友誼大飯店をよく利用した。中華料理でありながら紹興酒はなく、ビールの後はウォッカになる。話題がお隣の国に及んだ。韓国のことなら言いたいことが山ほどある。韓国の言う歴史がいかに理不尽であるか、と話し始めたら、仲間の一人が「隣の国とは仲良くしなきゃ駄目なんだよっ」と自分を怒鳴りつけた。いくら相手が酔っ払いでも若い頃なら、どうしてですかと反論するところである。でも経験上、朝日新聞を読み、NHKを見て変に凝り固まった人と議論しても無駄とわかっているので黙ってしまった。自分を面罵した人はW大学出身だった。出身大学で人を判断するわけではないが、どうもW大学卒の人は苦手である。
そういえば、朝日新聞の木村伊量社長も慰安婦捏造記事の植村隆記者もW大学出身である。やっぱりW大学はな、と思ったところで、産経新聞の阿比留 瑠比(あびる るい)政治部編集委員がW大学出身だったことを思い出した。別に大学によって性格が出来上がるわけではない。大学はもちろん学歴を含めて、いい人はいいし、よくない人はよくない。東大や東工大を出ていても、こんなにひどいのかという人がつい最近まで首相をやっていたではないか。
■仕事に対する誇り
4月に単独ラオス無謀旅行を敢行し、ほぼ死にかけた。その時の反省をもとにエイサーのアンドロイドタブレットを購入した。まだグーグルマップの使い方には慣れていないが、青空文庫というソフトで古い小説や随筆を楽しんでいる。最近、高村光雲の「幕末維新回顧談」を読んだ。光雲は幕末に生まれ、美校教授、帝室技芸員を務めた木彫師である。12歳に弟子入りしてから木彫り一筋、誇りと自負を持って仕事に打ち込んだ。一読し、深く感動した。明治時代はこういう職人気質を持つ人々に支えられていたのではないか。同様に職人気質を貫き、名作、名著を世に送り出した編集者の中には後年、小説家、随筆家として名を成した人は多い。
捏造記事もさることながら、朝日が取材もせず任天堂、岩田社長のインタビュー記事を掲載したことに自分は愕然とした。その辺の学生がコピペでレポートを作るのとはわけが違う。創作記事を書いた記者は勿論、2年も任天堂の抗議を無視していた朝日には報道という仕事に対する誇りが全く感じられない。まじめにこつこつと頑張る人への侮辱でもある。廃刊もやむなしか。