チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ソード・タイ

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ソード・タイ

■北タイの隠れ里
昨秋、ホエイモ村のブランコ祭りに行った。観光客は日本人二人だけ。バンコクPBSテレビが祭りの取材に訪れていた。我々はホエイモ村の村長宅に泊まったのであるが、取材チームは麓の街、ソード・タイに宿泊した。テレビスタッフが送ってくれたDVDを見るとソード・タイの朝市の様子が映っていた。行きかう人や売り手の多くは民族衣装、鄙びた異国情緒が感じられる。実はこの街にその後10回ほど1泊旅行を繰り返している。ソード・タイの魅力とは何であろうか。

友人、知人の中には何度も北タイを訪れて、ゴールデン・トライアングルはもちろん、象キャンプ、王母様の庭園、あるいはドイ・メーサロンなど自分より北タイの観光に詳しい人もいる。それではソード・タイにでも行ってみますか.えっ、それ何? ソード・タイは「地球の歩き方」にまだ載っていない。近頃では「まだ地球の歩き方にも載っていない」が一つのウリになる。訪れる人が少ないせいか日本語のネット検索でもほとんど情報がない。「隠れ里」と呼ばれるのは本当か。

■ソード・タイへの行き方
ソード・タイはドイ・メーサロンから北西へ24キロ、ミャンマー国境から南に13キロの北タイの街だ。グーグルマップで見るとチェンライの我が家から83キロ、車で1時間43分の距離である。人口は7千とも2万ともある。街の中心部が7千で、周辺に点在する少数山岳民族の村の人口を集めると2万になるのかもしれない。

チェンライから1号線をメーサイ方面に向かい、左折してドイメーサロン方面と書かれた1130号線へ入る。サムヤエック村の峠にタイ軍のチェックポイントがあり、自動ライフルを持った兵士が数人たむろしている。この峠を左1234線に行けばドイ・メーサロンへ行くが、そのまま3054線を直進してソード・タイへ向かう。高低差があり、急カーブの道だが景色は素晴らしい。いくつかのアカ族の村を左右に見ながら1本道を進む。昨年道路が改修されたばかりなので、運転はそれほど難しくはない。

やがて「ソード・タイへようこそ」と書かれたゲートをくぐると、学校や教会、一般住居が立ち並ぶ市街に入る。漢字の看板や幟が目につくことは中国系住民が多いということであろう。他にはアカ、シャン、モン、リス、ラフなどの山岳民族が住む。

数年前のネット情報では宿泊場所はリムタン・ゲストハウス一軒だけとなっているが、他に2軒ほどGHがある。自分の定宿はプーセンタワン・リゾート。リムタンと同じく、一泊500B。海抜800mほどの高地、チェンライ市内より冷涼あるので、3,4月の暑季を除けば400Bのファン・ルームで充分だろう。

■クンサー博物館
ソード・タイは1970年代にはリス族の出畑小屋が4軒あるだけの辺鄙な場所であったがその後、麻薬王クンサーがこの街を本拠としミャンマーから多くの避難民が流入した。

クンサーは2万の兵力を背景に近隣の少数山岳民族にアヘンを栽培させて経済力を蓄え、1993年に日本の本州ほどの国土を持つシャン邦共和国を建国した。このまま国が存続していれば、毛沢東ホーチミンカストロのように建国の英雄と称えられたであろう。しかし共和国は2年ほどで瓦解し、本人はミャンマーに亡命、2007年に74歳で死去、波乱の人生であった。

ビルマ国境では現在でもシャン族とビルマ軍、時にはタイ軍も交えての軍事衝突があるが、シャン族にすれば、20年ほど前に戻るだけ、という感じだろう。民族自決か国内反乱分子の制圧か、という民族問題は中国国内だけではない。

クンサーは犯罪者扱いされているが、ソード・タイでは、学校、病院を作り、上下水道を敷設するなど、住民の生活向上に努めた。だからソード・タイでは彼の評判は悪くない。

今年の5月、オーストリアの元判事、マンフレッドがチェンライにふらりとやってきた。彼をソード・タイに案内した。この街を見下ろす山の上にシャン様式の寺、ワット・クーカムがある。マンフレッドはクンサーを知るという50代の僧侶と話をしていた。ビルマは英国の植民地であったからシャン族も英語を流暢に話す。内容は聞かなかったがクンサーのことを語る坊さんは笑顔で、クンサーを懐かしんでいることは理解できた。クンサーの住居跡は小さな博物館となっている。

今の静かな佇まいからは想像ができないが、クンサーを追ってタイの国軍が戦車を先頭にこの街を襲った。博物館には500キロ爆弾が展示されていることから空爆も行われたのだろう。
毎年11月にはクンサーを偲ぶ祭りが行われるという。今年はぜひ参加してみたい。(続く)



写真はクンサー、クンサーの人形と記念写真、クーカム寺と本堂内部、坊さんと話すマンフレッド、