チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

高齢者は集団自決すべき

 

 

 

 

成田悠輔氏 眼鏡に注目

 

チェンライの花祭りから

花祭りから

百合

 

 

高齢者は集団自決すべき

■成田悠輔氏発言
2月12日、ニューヨーク・タイムズ日曜版が、イエール大学に在籍する経済学者・成田悠輔氏の「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹をすればいい」という発言を取り上げた。成田氏の顔写真つきで、紙面にするとかなり大きなスペースを割いていた。
成田氏は、少子高齢社会の解決方法について、これまで数年間にわたって「集団自決」「集団切腹」といった過激な表現を繰り返してきた。このたびニューヨーク・タイムズに取り上げられたのは、2021年12月17日配信の「ABEMA Prime」での以下の発言だ(成田氏は、「ABEMA Prime」に不定期MCとして出演してきた)。

「僕はもう唯一の解決策は、はっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなのしかないんじゃないかなと。やっぱり人間って引き際が重要だと思うんですよ。別に物理的な切腹だけじゃなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて。過去の功績を使って居座り続ける人が、いろいろなレイヤーで多すぎるっていうのがこの国の問題」(「ABEMA Prime」 (Business Insider からの引用)

■変わった人の過激な発言
成田氏は高校の時から重度の睡眠障害で道端に寝ていておまわりさんによく声をかけられたとか、デパ地下で一食分の試食をする、生まれ変わったらゴキブリになりたいとか、丸・四角の眼鏡だけでなく奇矯な行動、言動で知られている。東大出身でイエール大学の先生という肩書が無ければ関わりたくないという範疇の人に属する。まあテレビに出るためには多少、鬼面人を驚かす、というか人目を引かないといけないという気持ちから「高齢者は集団切腹をせよ」の発言になったのだと思う。

彼の発言の趣旨は老害阻止に尽きる。自分のアシスタント・プロフェッサーのアシスタントが外れないのは、要するに年寄りが大学にのさばっているからだ、といいたいのだろう。老害呪詛は決して新しいものではない。自分が若手社員の頃、同期の連中が「ああいう連中が部長や役員ではびこっているようではこの会社は大変なことになる」と憤慨していた。その同期も順繰りで部長や役員になったのだから、若手社員に同じように批判されていたに違いない。

組織の幹部が一様に腹を切らされた、いわゆる戦後のレッド・パージのような例はあるが、世の中は昔から「老害」と「今どきの若いもんは」の2つのせめぎあいで成り立っている。老害を責めてやまない成田氏もそのうち年を取って、若い人に「老害」呼ばわりされる(はずである)。それとも教授になったら、すぐに退職して後進に道を譲るのであろうか。そこまで徹底して老害を非難するのであればあっぱれ、と言ってもいい。

でも養老孟さんが評したように成田氏は「今だけ、カネだけ、自分だけ」の人かもしれない。自分が老年になった時はどうだろうか、という想像力が欠如していると言われても仕方がない。

■黙っていても高齢者はいなくなる
個人的には自分の属する「団塊世代」がこの世を去れば、もう少し日本は良くなるのではないかと思っている。朝日新聞を読み、テレビのニュースショーを見て、「アベ政治は許さない」などと言っていたのは、団塊の世代だ。別に腹を切らなくても、もうすぐ寿命が来てこの世から消える。老人の読者が消えるから朝日新聞東京新聞も廃刊になる。左翼番組の視聴者を失ってテレビ会社もつぶれる。若い人は新聞も読まず、テレビも見ない。高齢者は黙っていてもいなくなる。若者も黙っていても高齢者になるが、今の若者が高齢者になったとしても団塊世代に比べてマシだから左旋回はしないような気がする。それだけ今の若者世代は団塊世代より健全で大人ではないかと思う。

成田氏の発言はニューヨーク・タイムズの日本人記者によって書かれた英文記事であった。「ハラキリ」のショッキングな見出しで世界中に広まって、それがために成田氏がバッシングを受けているという面がある。若い人が老害を言い立てるのは別に新しいことではない。成田氏は「老害は良くない」を多少、過激に表現しただけだから彼の発言に過剰に反応する必要はない。「お若いの、お主も年を重ねれば自然と分かることよの」とサラリと受け流していればいい。

それとも老害と言われることを覚悟して「悔しかったらオレと同じ年になってみろ」とでも言うか。