チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

老害になりようがない

チェンライ花祭りから

同上

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老害になりようがない

老害が生じるには

老害とは「企業や政党などで、中心人物が高齢化しても実権を握りつづけ、若返りが行われていない状態」を言う。転じて周囲に迷惑を及ぼしたり、周囲を不愉快な気持ちにさせる老人そのものを指す場合もある。何かと周囲に害を与えることから、老害と呼ばれる。うちの会社は老害で、とか県議会の老害は、などと批判する人は若い人である。

チェンライに暮らして10年以上になるが、老害と批難されたことはない。老害は組織の中で発生するが、自分はまず組織というものに属していない。日本人会は組織と言えるかもしれないが、会員の平均年齢は70歳を越えているのだから、老害と言うなら全員が老害だ。老害(老人)は身を引いて、実権を若い世代に譲れ、こう発言する人は若い人である。日本人会には60歳以下の若い会員もいるが数が少ないし、実権を譲られても困るので小さくなっている。

周りの若い人と言えばタイ人になってしまうが、こっちは外国に住まわせてもらっている手前、周囲に迷惑をかけるとか不愉快な思いをさせることのないよう自重して暮らしている。だからあの日本老人は老害だよ、と言われてはいない(と思う)。また、親日国であるし、先人の築き上げた日本ブランドもあって、敬意をもって扱われている面さえある。

というわけでチェンライの老人は老害と無関係に暮らしている。と言っていいだろう。

■石を投げれば老人にあたる

ところで日本の総人口に占める高齢者人口の割合の推移をみると、1950 年(4.9%)以降一貫して上昇が続いており、1985 年に10%、2005年に20%を超え、2021 年は29.1%となり、数にして3,640万人となっている。
 国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、この割合は今後も上昇を続け、第2次ベビーブーム期(1971年~1974年)に生まれた世代が65歳以上となる2040年には、35.3%になると見込まれている。そうなると3人に1人は高齢者だ。

年金は少ないし、高齢者となっても働く必要がある、という人もいるだろう。またお国では一億総活躍社会と言って、引き籠っている老人を非国民とまではいわないが、社会に貢献していない、少しは働けと無言の圧力をかけている。家に居れば奥さんに「邪魔だからどこか働きに出て」と命じられるご主人もいる。高齢になっても様々な理由で組織に属して活動している人は少なくない。それなりに社会のお役にたっているのに、若い人に老害と批難されるのでは立つ瀬がない。組織においては、よく働く人2割、そこそこ働く人6割、働かないで足を引っ張る人2割という割合だそうだ。この割合は年齢には関係がない。

余談であるが働き蟻の集団も全員が同じように働くのではなく上記の2・6・2の割合になるそうだ。そして働かない蟻だけの集団を作ると、やはり2・6・2の割合に落ち着くとか。

■世代間の軋轢

老害の反対語は「この頃の若い者は」だそうだ。老人は5千年前から同じセリフを吐いていたらしい。世代間の軋轢は昔からあったが、ほんの百年前は老人の数が少なかったから、老人の蔑称である老害はあまり使われていなかった。人生七十古来稀なり、ほとんど老人がいない世であれば老人には希少価値が付く。供給が少なければ価値が上がるは経済学の常識だ。ネットや書籍のない時代には古老の話に若者は耳を傾けた。つまり老人の話に需要があった。老人敬うべし、は経済原則から言ってもごく当たり前だった。

今のように3人に1人弱が老人となれば、供給過剰で価値が下がる。スマホもパソコンも使えない、と若い人は老人をバカにする。現役の頃、新入社員に「パソコンのない時代、どうやって仕事していたんですか」と聞かれて答えに詰まったことがある。

オレの若い頃はナー、算盤で決算書を作ったもんだよ、女子社員も深夜残業してナーなどと言えば感心してくれるどころか、そんな自慢話で存在感を示したいのか、と疎まれるのが関の山だ。自慢話をする老人に限って変にプライドが高いから、なんだ―、お前はオレをバカにするのか―、とキレてしまう。昔は「切れる人」というと仕事のできる人のことを指したが、今は若者が老害の代名詞として使うようになった。

チェンライでは若い人と組んでやるのはテニスくらいだから若い人との軋轢が生じようがない。周りの邦人は同年配の人ばかり。利害関係がないし、お互い、職歴、学歴、ムショ歴等、個人的な話は話題に上らない。その人がいい人かどうかだけが付き合う基準となる。それに人間的に質のいい人ははまず自慢話などしない。

「君子の交わり」をチェンライで実感するとは思ってもみなかった。