チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

人生の最終盤、遊行期

花祭りから

自撮り

同上

同上

同上

韓国では無理


人生の最終盤、遊行期
■4住期
母と兄と3人でチェンライに移り住んだのは2009年1月だった。「門松や 思へば一夜 三十年」という芭蕉の句があるが、正に、「思へば一夜 十四年」の感慨に囚われる。この14年は、その前の何十年かと比較すると大きな違いがある。それはヒンズー教の人生を4つに区切る4住期という考え方と関係している。

4住期とは即ち、

●「学生期(がくしょうき)」
まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間。
●「家住期(かじゅうき)」
仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間。
●「林住期(りんじゅうき)」
世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。
●「遊行期(ゆぎょうき)」
人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤。

それぞれ、25年ずつとなっているが、自分の場合、60歳で仕事をやめ、年金生活となった。タイに来た時は、子供は独立し、カミさんからも独立を宣言されていたので、正に林住期を謳歌できる条件は整っていた。

生きるために働く世俗的な生活から解放された。会社の人間関係、客先との軋轢、給金の中には我慢代も含まれていると思っていたから、社会人の時はあまたのストレスに耐えてきた。でも仕事をやめたらストレスがなくなって、体調までよくなった。学生期、家住期はそれぞれ25年、林住期は50歳から始まるとされるが、自分には60歳から林住期と遊行期が一緒にやってきたように思う。

父は50年ほど前に61歳で亡くなった。死ぬ直前まで働いていたから、学生期と家住期だけで人生を終わったことになる。今、異国でノンビリ暮らしていると若くして?亡くなった父を可哀そうに思うことがある。でも今や人生100年時代、75歳までは家住期、働けるだけ働いて欲しいというお国の政策もあるし、働くことが元気の源、死ぬまで働きたいという高齢者もいる。人の生き方はいろいろだ。遊行期の自分には何も言う資格はない。

■タイの高度成長
14年が思へば一夜、であったけれど、タイの変化を多々見てきた。初めてチェンライを訪れた2002年、案内してくれた邦人が、最近、市内に交通信号ができたというので見物に行ったと話していた。車が少なかったため信号が要らなかったのだ。自分が移り住んだ頃はアジアハイウェイと言われる幹線道路には交通信号があったが、ちょっと郊外に出ると信号はなかった。自分が住むようになってここ10年、車、バイクの増加は著しく、それに伴って主な四辻に信号が付くようになった。偶には交通渋滞があって、交差点を通過するのに信号2回待ちということもある。来た当初、チェンライからメーサイへよくドライブしたが、前後に車の姿を見ることは稀だったように思う。

考えてみればタイの一人当たりGDPは2009年には4,213ドルだったが2019年には7,814ドルとなっている。バイクの販売台数も伸びているがそれにもまして4輪車、特にセダンタイプの車の登録数が増えている。交通量の増大も国が豊かになっていることもデータが示すとおりだ。

因みに日本の2009年における一人当たりGDPは41,469ドル、2019年は40,566ドルと横ばい、失われた20年と言われている所以であるが、発展途上国や中進国は伸びしろがあるから発展速度が速いと言える。自分が10歳前後のとき、食堂の支那ソバ(当時は中華そばとかラーメンとか言わなかった)が1杯35円だったと記憶している。それが今では800円前後か。タイ経済も急発展、数年前、タイソバ(クイッティオ)は1杯30Bだった、ちょっと田舎に行くと25B、ところが今では40B、50Bとなっている。生活程度を落とさないとやっていけないほどではないし、ある程度のインフレは国民生活向上のためには避けて通れないのだろう。

■高級車も増えた
そういえばさすがタイも中進国、金持ちが増えているんだな、と実感することがある。自分がこちらに来た頃、大型バイクを見かけることは殆ど皆無、自分がフォルツァを買った当初は子供が目を丸くしてみていたものだ。ところが、今では1000ccを越えるデュカディ、BMWトライアンフなどがグループで走り回っている。ベンツ、マセラティなどの高級セダンも見かける。へえ、タイには金持ちが多いなあと感心するのだが、彼らが金持ちなのではなく、自分が貧乏なだけと気づく。そういえば小学校の同級生はみな秀才ばかりだったが、それは彼らが特に優秀というわけではなく、単に自分が劣等生だっただけのことだった。

日タイの経済統計を調べたり、少年時代を思いだしてクヨクヨしているようでは遊行期の高みには程遠いと言わざるを得ない。