市内公園の花祭りから
やはり蘭が主体
種類も多い
例年より人では少なかった
蘭の写真を中心に
紫陽花もあった。水煙の装飾付き
遅ればせながら新年のご挨拶
■東京もチェンライもいい天気で明ける
あけましておめでとうございます。皆様にとりまして本年が素晴らしい年となりますようお祈り申し上げます。今年もどうぞよろしくご教導の程お願い申し上げます。
2年ぶりにチェンライで正月を迎えた。日本には暮から正月にかけて寒波が襲来し、大雪で帰省の足にも影響した、とニュースで報じられていた。寒波は世界的でチェンライでもこの週末には最低気温10度と予報されている。最高気温は25度前後になるのだが、タイ人にとっては極寒である。この時期、寒さを楽しむためにバンコク方面から北タイに観光客が押し寄せる。チェンマイ県にあるタイ最高峰ドイ・インタノン(海抜2565m)では霜がおりた、おりないがテレビニュースで流れる。霜で大騒ぎの国だから日本に行って雪を見る、はタイ人の夢だ。東京に雪が降った、などと言うとブアさんは目を輝かす。雪はタイ語で「ヒマ」という。ヒマラヤのヒマだから覚えやすい。
チェンライの元旦の気温は最低気温20度、最高気温27度、朝は曇りだった。チェンライでは太陽が燦々と照る晴れの天候はいい天気と言わない。曇っている日がタイ人にとって「いい天気」の日だ。気温があまり上がらない。
東京の元日は気持ちのいい冬晴れ、とメールにあった。「何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風なし」の啄木の歌を思い出す人もいただろう。こちらの人は「元日の朝、曇って風なし」でいい年になりそうだ、と思ったに違いない。自分もいい年になりますように、との願いを込めて日章旗をベランダの外に掲揚した。
■テニスが生活のリズム
昨年11月下旬に東京からチェンライに戻った。1年8カ月のブランクがあったものの漸く、以前通りの落ち着いた生活を送っている。落ち着く、ということは日常生活にリズムができるということである。自分の生活のリズムの基本はテニスである。ここ数週間、月曜から金曜まで週5日コートに立つ。暮は31日まで、新年は3日からとペースは変わらない。
朝食を終え、8時前後に「パイ・タムガン(仕事に行く)」と女中さんに言って、自宅から車で10分ほどの市営運動場に行く。ここはサッカー場、プール、陸上競技場、屋内体育館、更には実弾射撃場まである総合運動施設で、テニスコートは9面ある。朝は自分のような退職老人が中心で外人が半分くらいか、集まるメンバーは概ね一定していて数人から多くて10人くらい。
着いてちょっとラリーをしたら、すぐ6ゲーム先取のダブルスの試合が始まる。3人しかいない所へ来合わせると、ノックもなしにすぐ試合ということもある。2つか3つ試合をすると2時間経過する。コートの周りには高い木が植えられているので朝の内は木陰がコートを覆って涼しく快適である。でも10時過ぎになると陽が高くなり、陽光がコートに降り注ぐ。チェンライに戻った時は「色白になった」と褒められたのに、もうすっかり日焼けして真っ黒に戻ってしまった。アンタ、タイ人?と初顔のタイ人に言われることもある。
■健康な精神は健康な体に
日本にいた時は運動らしい運動をしていなかった。1日1万歩というけれど図書館や商店街に行くらいではとてもノルマは果たせない。それに外を歩くと、ヨレヨレと買い物車や杖にすがって歩くご同輩に出くわす。ああ、5年後、いや3年後には自分もああなるのだな、と気が滅入った。東京の65歳以上の高齢者は令和2年推計で330万人という。都民5人に1人が老人だ。地元商店街を歩く人の半分以上は老人という気がしたが、若い人は学校や会社に行っている時間帯のせいだったかもしれない。それに東京では歩いていける範囲で用が足りるから老人の外出率が高いのだろう。
タイ人は基本的に歩かない。車かバイクだ。だからヨレヨレ老人を見かけることがない。出歩けなくなったら家族が老人の面倒を見る。老人単独世帯は聞いたことがない。
コートに復帰した11月は、足がボールについていけず、自分がヨレヨレ老人だった。タイマッサージでは両足が面白いように攣った。足腰の痛みで階段は半歩ずつ。でも数週間経った今では脹脛に筋肉が付き、腰の痛みも薄れ、ボールに追いつけるようになった。相手は同じなのにダブルスの勝率は飛躍的に上昇した。体力が回復したと思うと性格まで明るくなったように思う。大晦日、友人宅でご馳走になった。その時彼が、中西さん元気になりましたね、と言ってくれた。
「正月の こころわかきは われのみか」(蛇笏)の句が心に浮かぶ。あと5年、いや3年は今の体力、気力がもつかなあ。