チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

チェンライ春節

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チェンライ春節

■ハイシーズン
タイのハイシーズンは11月から2月である。雲ひとつない晴天が続き、暑くも寒くもなく過ごしやすい。日中は30度位になるが、湿度が低いので日陰に入ると涼しく感じる。まるで夏の軽井沢にいるようだ。

市内の目抜き通りにはファランが目立つ。チェンマイで見かける西洋人はどこかお金持ち風だ。でもここチェンライの西洋人はどこか貧乏くさい。無精ひげに大きなリュック、リュックに靴をぶら下げて、素足にゴム草履。チェンライはトレッキングの本場として知られている。欧州には高い山の無い国がある。そういう国の人々は緑に囲まれた山中の上り下りに憧れるのだろう。タイ人が一度は一面銀世界のスキー場を見たい、というのと変わらない。サウジやクウェートのお金持ちは雨季のタイにやってきて、土砂降りのスコールの中を嬉々として歩くそうだ。
日本には四季があり、雨も雪も風も陽光も季節の花や緑も楽しめる。住んでいた時は何も感じなかったが、他国にいると改めて日本の良さを感じ、多少は望郷の念にかられる。

■夫婦3組
日本から弟夫婦、それに東京と鹿児島から友人夫婦がチェンライに来ている。皆、仕事を終えているので、1月から3ヵ月の長期滞在だ。東京からの友人はパソコンに詳しく、自分が8年前、ウズベクに赴任した時からブログの管理をしてくれている。タシケント到着後、1週間もたたないうちからブログを発信できたのも、この8年、週2回ブログをアップできたのもこの友人のお陰である。

自分では何もできないのであるが、できる友達を知っている。昔から人様のご厚意におすがりして生きていくタイプだったように思う。有難いことである。

ブログ原稿と写真を友人に送っておくと、彼が月、木の朝にメール配信並びにブログのアップをする。彼は昨12月に長年勤務した金融機関を退職した。これまでは出勤前にブログ更新をしてくれたが、これからはのんびりしてもらいたい。彼がチェンライに来てくれたのを機会に、やり方をを習って、自力更生、自分でブログの更新をしていくことにした。不慣れのため、色々支障が出るかもしれない。予めご容赦願いたい。

■ラフ正月再び
チェンライ市内からコック川沿いを遡ると象キャンプがある。象トレッキングはチェンライ観光の目玉でもある。象の背中に乗って散歩、料金は一頭30分で200B、親子、カップル、2人まで乗れる。弟夫婦と東京の友人夫婦を別々に案内し、象乗りを楽しんでもらった。今は乾季なので水量が少なくなったコック川を象さんが渡ってくれる。

象キャンプから更に10分ほどコック川沿いの道ををさかのぼると幾つかラフ族の村がある。その一つに友人Hさんの家がある。周囲を青い塀で囲まれた丘の上にあるお屋敷だ。敷地内には池が作られ、池の中央にはあずまやが設えられている。池を渡る涼風を楽しみながら、ビールを飲むこともできる。Hさんはラフ女性と結婚して在チェンライ17年、村の人に米作りをさせたり、子供の進学相談に乗ったり、実質的な村長だ。

今年もラフ正月のご招待を受けた。夫婦3組と自分、車2台で出かける。7時前、もう暗くなって到着したが、まだ祭りは始まらない。前日までHさん宅に飼われていた豚の豚肉とお餅のご接待を受ける。タイに来て、豚によって味が違い、新鮮な肉は美味しいということがわかった。概して豚肉と鶏肉はタイのほうが日本より美味しいように思う。杵と臼で搗いたお餅も日本の餅と変わらない。

ここから奥さんのお姉さんの村へ車で移動。お姉さんの家は昔のラフ家屋なので、部屋の中に囲炉裏が切ってある。ここでも囲炉裏の火で焼いたお餅をご馳走になった。お姉さんの村はラフ村としては大規模で戸数50、その分、踊り手も多くにぎやかだ。

村の広場に竹で櫓が組まれていた。櫓には紙の吹き流しが付いている。これは神様の依り代だろう。この櫓を時計回りに輪になって踊る。笛、太鼓、シンバル、それに年配女性の哀調を帯びた歌が続く。手は使わず、足でだけで複雑なステップを踏む。踊りの輪の外側にもう一つ子供中心の輪ができて一生懸命ステップを真似している。

ラフ正月は中国の春節に合わせ10日くらい続く。この間、子供は学校に行かないし、親もそれを許すらしい。
暗いので表情まではわからないが、ラフの民族衣装の少女達は可憐で華やかに見える。7名の闖入者に、村人は焚火の席やお茶を勧めてくれる。いつもながらのホスピタリティに感謝。踊りは連日、真夜中まで続くという。仰ぎ見る空には満天の星、名残惜しいが10時過ぎに村を後にした。

写真は弟夫婦、村の家屋、お祭りの踊りの輪、一番下は赤子を抱いたラフの母親