チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

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千客万来(1)

■ツーリスト、Nブラザーズ
先週は忙しかった。というのは弟夫婦を含め、夫婦3組、それに加えて東京から男性3名、四国松山から女性1名がチェンライに滞在されていた。鹿児島からきているご夫婦は何度もチェンライ長期滞在に来ておられるので、自己完結型、特にお世話の必要はない。弟夫婦は5回目のチェンライだが、今回は1月の長期滞在、自分で車を運転してあちこちに行けるようになった。

ホンダシティとカリビアン、2台の車があるので、兄弟3人で手分けして4グループを一緒に、あるいは個別に観光名所、レストランを案内した。ガイド兼運転手、ツーリスト中西ブラザーズは大繁盛といったところだ。

わざわざ、チェンライまで来て下さった人達ばかりだ。ガイド、車の運転など何でもない。イッツ・マイ・プレジャー。

■値段感覚の違い
日本からのお客さんを迎えて嬉しいことがある。日本の話を伺えることもさることながら、初めてチェンライという方の反応が楽しい。例えば、ホテルでタイマッサージをしたけど、1時間で400B(約1200 円)、やっすいなー、と感激している。ええっ、400B?、そりゃあ高いですよ、私なんか2時間250Bのマッサージしか行かない。でも日本だったら1時間6千円ですよ・・・

6-7品の料理を頼み、ビール付き、かなり豪華な食事をしても一人当たり300B程度、日本だったら一人3千円はするよ、とびっくりしている。外食というと日頃、30Bのクイッティオ(タイそば)を食べている自分としては、高いなあ、と思ってしまう。

5年前、チェンライに来た時の自分とお客さんの姿が重なる。バナナ1房20B、菜っ葉1束10B、缶ビールが1缶30B弱だった。何でも安いと感動したものだ。しかし1年もするとすっかりケチになってしまった。今はシーズンでないので、マンゴスチンやマンゴーが1キロ60Bもする。2,3カ月もすれば1キロ20Bくらいになると思うと手が出ない。菜っ葉もこないだは1束5Bだったよな、などと考えてしまう。

でも遠路はるばるチェンライに来てくれた人には、いろいろ食べていってくださいね、と南国の果物を勧める。今は高いから・・なんて言わない。安くておいしいマンゴーが出回るからあと3カ月こっちにいて下さいというのは無理な相談だ。

■エー、毎度ばかばかしいお話で
自分のブログのことをご存じないお客さんだとさらに嬉しい。というのは同じギャグというか、ブログに書いた内容が話題として使えるからだ。

お話していて、「あ、それ、ブログに出ていましたよね」と言われた時の恥ずかしさ、バツの悪さはなかなか理解していただけないだろう。
初対面、自分は相手を全く知らないが、相手は自分の考え方や内面に精通している。こっちは手の内をすべて場にさらしているのに、相手は牌を立てたままの麻雀に等しい。絶対勝ち目はない。

話題も、知識量もいたって少ない自分だから、つい同じことを話してしまう。それに年のせいかブログの内容を忘れてしまっていて、指摘されて、そう言えば書いていたかなあ、と気づく。そのうち「ケン坊」という渾名で呼ばれるようになるかもしれない。

その点、自分のブログを知らない人だと気が楽だ。一段と饒舌になる。でもブログと同じ内容を舌が滑るままに喋り、オチまで同じとなるとなんだかなあ、という気になる。そう思うと落語家や教師という仕事はラクではないだろうなと同情の念が湧く。

■お勧め観光コース
チェンライから国道1号線を北上し、メチャンの先で右折して1016線に入り、チェンセンへ向かう。チェンセンはランナー王国の王都が置かれていた。当時の城壁、濠跡が残っている。ここでワット・チェデルワンという14世紀初めに建てられた古寺を見物する。
10年前に訪れた時は、土産物屋など1軒もなく、大きな金仏をみすぼらしいトタン屋根が覆っているだけ。基礎部分は八角、上に行くに従って釣鐘型になるチェンセ―ン様式のパゴダの上部は欠け落ち、塔全体が雑草に覆われていた。

ところが今回行ってみると、伽藍の建設が進行中で、パゴダ上部はセメントで修復されている。以前のほうが古寺としての風格があったと思うが、何でも新しいものを好むタイであるから仕方がない。ただ境内の周囲5mはある巨大な菩提樹は一見の価値がある。この木は創建の頃からあるのではないか。

チェンライ、チェンセン、チェンマイなどチェンの付く地名は多いがチェンは「城」を意味する。1300年前後ランナー王国はめまぐるしく王都を移動するが、これはひとえに迫りくる蒙古(元軍)の襲来を恐れ、その攻撃から逃れるためだった。
(続く)

写真はワット・チェデルワンでのスナップ