ホェイモ村のブランコ祭り
■ アトゥーの情報で
アカ族のブランコ祭りについては以前にも書いたことがある。雨季の中盤、陸稲やトウモロコシの植え付けが終わった農閑期に開催される。アカの暦は日本の干支のように日ごとに動物が決まっていている。祭りは「水牛の日」に行われ、4日ほど続くそうだ。でも、はっきりと決まっているわけではなく、村長の都合によって1,2日ずれることもあるらしい。
アカ教育文化協会の代表、アトゥにメールで今年のブランコ祭りの予定を聞いた。8月中旬から9月初めにかけてチェンライ県内数カ所で開催される祭りを紹介してくれた。
アカ族はご存じのとおり、女性は美しい刺繍の施された黒や紺のミニスカート、脚絆をつけ、銀細工、銀貨、ビーズをあしらった兜と言ってもいいような帽子をかぶる。大変エキゾチックで、見栄えがするので、北タイ観光案内書の表紙を飾ることが多い。
昨年11月にラオスを一緒に旅した豪州人、アランもアカのコスチュームに惹かれた写真家の一人だ。ラオスのアカ族と違って、お金を払わなくても写真を撮らせてくれるはずだから、と誘ってみたが、ブランコ祭りの時期、中国を旅していることがわかった。今頃は雲南省のアカ、哈尼(ハニ)族の写真でも撮っているのだろうか。
■道を聞きながら山道を行く
1.5m四方の細かいチェンライ全県図を持っている。でも山の中に点在するアカ族の村が全部載っているわけではなく、地図自体もそれほど信用できない。アトゥが「私はブランコ祭りがおこなわれているホェイモ村に行きたいのですが、村はどの方向ですか」という意味のタイ語をメールで送ってくれた。これを書き写して、近くまで行き、現地の人に見せれば、何とかなるだろう。
友人のIさんが同行してくれることになった。自分よりタイ語が上手であるから心強い。
チェンライを10時に出発、ソェット・タイの山道にかかったのはもうお昼も近い頃だった。この先はミャンマーで行き止まりだ。「村に食堂はありますかねえ」。 以前、彼とメーサーロンのアカ民族舞踊祭りに行ったことがある。ラオス、ミャンマー、北タイのアカ族が集結し、観光客も多く、焼きそばなどの露店も多く出店していた。「まあ、一応、お祭りですから食いもの屋の一つや二つは出てるでしょう」。
ソェット・タイの手前を右に折れるのだが、いまいち見当がつかない。Iさんがアトゥのメールを書き写したものを持って、村人に尋ねるのだが要領を得ない。要するにタイ語が喋れず、タイ語が読めないのだ。山の中に入るとこういった状況は稀ではない。
■ホェイモ村到着
現地人2人に確認した道を登る。車がやっと1台通れる道だ。右下は崖。所々舗装が切れていて、2日前までの雨で道は大きくえぐれている。普通車ではとても通れない。「こんなところに村があるんですかねえ」、「ま、無かったらチェンライに引き返しましょう」などと話していたら、一つ坂を上ったところに藁ぶき屋根の家が目に飛び込んできた。あっ、着きましたよ。尾根に沿って30戸ほどの民家がある。村の左手、小高い所に広場があって、そこで村人たちが4本の木を合わせて櫓を作っているのが見えた。ブランコ用の櫓だ。間違いない。
丘の下に車を停め、櫓を見に行く。しょぼいと言えば失礼だが、鄙びた村で、祭りの飾りもなく、露店はもちろん観光客らしき人もいない。昼飯はどうなるのだ。
男たちが櫓に縄を取り付ける様子を眺めていたら、コンニチハと小柄な男性が挨拶してきた。アカ出身の大学の先生、ディーさん、アトゥの協力者でもある。この朝、到着したバンコクのテレビクルーを案内してきたとのこと。
■餅に込められた意味
ディーさんの傍らのテーブルの上にに、小さくちぎった餅が盛られていた。ゲゲゲの鬼太郎の漫画に出てくる「魂」の形にそっくり。もとは一つの大きな餅だった。このちぎり餅をみんなで食べることにより元の大きな餅のように心が一つになるのだそうだ。
古来、日本には、稲魂(いなだま)とか穀霊(こくれい)という言葉があるように、米には人間の生命力を強化する霊力があると考えられてきた。稲や米の霊力は、それを醸して造る酒や、搗き固めて作る餅の場合には、さらに倍増するとも考えられた。
餅にはアカ族と原日本人の共通点がある。宗教的共通性はともかくとして、ひもじかったIさんと自分は、勧められるままに、餅をどんどん頬張った。ホェイモ村は35戸、200人の小さな村だという。食堂があろうはずはない。(続く)
「ご接待の準備」「村の子供達 」「組み立て作業」「組み立てを見る人々」下の二枚は「餅」です。