ラオス、アカ族の村を訪ねる(16)
■ウドンムサイ到着
フエサイからウドンムサイまでは330キロ。片側1車線ではあるがムアンムンの道と違って舗装されている。ムアンムンを往復した時はほとんど対向車がなかったが,この道路は幹線らしく、時折トラックと行きかう。この国ではいすゞの大型トラックが結構頑張っている。大和物流株式会社、佐川急便のトラックも走っていたが、もちろん国際一貫流通サービスをしているわけではない。社名やロゴがそのままの中古トラックだ。日本の流通大手で使用されたトラックは中国に輸出されると聞いていたが、中国から再輸出されたものだろうか。見たところどこも傷んでいない。
ミニバスはフエサイを9時に出発し、ウドンムサイのバスターミナルに到着したのは15時過ぎだった。6時間のバス旅行。
バスターミナルは街の中心から300mほど離れている。アランは、さあ、こっちだと前に立って歩き出す。足が長いうえに喜び勇んで歩くものだから、リー君と自分は付いて行くのが大変、時折、小走りで追いかける。
ウドンムサイは、雲南省景洪行きの国際バスも出ている北ラオスの交通の要衝、でも観光するところはあまりない、とネットには出ている。何の変哲もない埃だらけの田舎街である。それでもファランがいっぱい歩いている。アラン推奨のホテルはドイツ人の団体さんで満室と断られた。結局、このホテルに隣接するゲストハウスに3室だけ空きがあった。一泊600円であるがお湯の出るシャワーと小さい冷蔵庫が付いている。インターネットも隣のホテルのWi-Fiが使えた。満足である。
■ウドンの街角で
街から70キロほど離れた山の中にアカ族の村、タノンがある。俺は2年前に行ったことがあるから、道案内はまかしてくれ。アランは張り切っている。田舎の街にしてはしゃれたテラスのレストランがあった。そこで春巻きや焼き鳥、それにビヤラオの食事。おお、ハウスワインがあるな、珍しくアランがワインを頼んだ。
ファランの若者が次々に入ってくる。僕はジム、彼女はマリー、よろしくとか言いあっているから、みな初対面らしいが、あっという間に10数人のグループになった。ワインを飲み交わし、煙草をスパスパ吸っている。旅の失敗談か何かで話が盛り上がっているらしく、笑声が絶えない。
旅と食事は若い時にめいっぱい楽しんでおくものだ。年をとってしまったら、歩きまわれないし、そんなに食えなくなる。
■アカ族の村へ出発
朝、靄につつまれて、街は薄暗く肌寒かったが、9時近くになって日が差してきた。リー君がバイクを2台調達してきた。前夜のうちに目星をつけておいたものだ。中国製であるが、見た目も試し乗りの結果もムアンムンで借りたバイクよりかなりマシである。
まず国道を北へ50キロほど遡る。道路は舗装されているが、時折、大きな陥没個所があるので安心はできない。高速で突っ込んだらバイクがひっくり返ってしまう。
明るい稲田を両側に見ながら、ツーリングを楽しむ、と言いたいところだが、中国製バイクはガソリンの減り方が激しい。燃料計のクセもわからない。燃料が半分を切ると気になって仕方がない。
刈り入れ、脱穀をしている田んぼがあった。家族や親せき総出なのだろう、20人以上の老若男女は田んぼにいる。田の中央には大きなビニールシート。その中に斜めに立て掛けた大きな板がある。その板に男たちが稲穂を叩きつけて籾を落としている。稲藁は女性たちに渡される。女性は棒で稲藁を叩き、まだ付いている籾を叩き落とす。インディカ種の籾は叩くだけで、あっさり稲藁から離れてくれるようだが、ジャポニカ種の日本米ではこうはいかない。昔、農家には千歯こきという大きな櫛のような道具があった。千歯こきで稲穂をしごかないと日本の籾は取れないのだ。米の粘りは脱穀の時や風味ばかりでなく、食べている人の国民性にも影響してしてくるのだろうか。
アランは脱穀作業をしている女性たちの撮影に余念がない。写し出すときりがない。一人ひとり、レンズを近づけて、はい、笑って、笑ってなどと言っている。ここで1時間近くも時間をとられてしまった。
ここだ、とアランが国道を右に入った。車が1台やっと通れる細い道だ。いやな予感がしたと思ったら、目の前に泥だらけの急坂が出現した。とても登る自信がない。後部座席のリー君に、「チェンジ(代わろう)」と告げた。リー君は、そうだな、ギヤチェンジが必要だな。違うよ、運転代わってよ。
ここから山道を20キロ走行しなければならない。(続く)
写真上から「佐川急便」「ウドンムサイの街」「GHの看板」以下3枚は「脱穀風景」