チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

アカ族の葬式 4

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アカ族の葬式 (4)

■山刀で楽器作り
アカの男は、いつもはダラダラと朝から酒を飲んだり、賭けごとをしたり、でなければゴロゴロと寝ているものが多い。女が働き、男はまるでヒモ。例外はあるが東南アジアの男とはそういうものだ。しかし、男たちが、人が変ったようにキビキビと動き出すことがある。それは祭りの時だ。非日常的なイベントの時に男の存在価値が問われる。
葬式の時の男達の働きぶりも際立っている。

3人の男が昨日、柩を作っていた場所で竹の楽器を作り始めた。直径10センチ、長さは120センチほどの青竹だ。彼らは刃渡り30センチほどの山刀を振るって、2つある節の一つを半分に切る。竹はご存知のように無理な力を加えるとあっさりと縦に割れ目がはいってしまう。男達の振り下ろす山刀は確実に同じ個所に当って、竹は割れることなく小破片となって飛び散る。
アカ族の踊りを見たことのある人はご存知と思うが、踊り手は手に竹筒を持ち、筒をとんとんと地面に打ちつけながら輪になって踊る。一種の打楽器である。

形がある程度整うと、次は竹の表皮に刃をあてて筒を削っていく。青竹の厚みは1センチ近くある。肉厚を薄くすることによって澄んだ音が出るようになる。手元に近い節に山刀で穴をあける。音の響きを良くするためだ。
男たちは時折、地面に筒を打ちつけ、音を確かめながら少しずつ竹を削る。筒を捧げ持つ部分を鳥が羽を広げたような形に彫った。これも無骨な山刀一本で行う。

2時間くらいかかっただろうか、3本の竹筒打楽器が出来上がった。音色はほぼ同一ではあるが、手に持つ部分のデザインにそれぞれの作り手の個性が生かされている。

夜に柩の前で女性がこの竹筒を持って踊るらしい。その床を叩くトントンという澄んだ響きは故人が天国への道を登っていく時の足音を象徴するものだという。

■万能の山刀
アカの男は木を切り倒すことから、豚や牛の解体、料理、祭祀用のお飾り作り、彫刻まで何でもこの一本で済ませる。
薪やテントを縛る紐さえ山刀で作る。青竹を割り、幅1センチくらいの細長い棒を作り、その棒を薄く割る。多少の厚みのあるものはざるやかごを編む材料になるが、それより薄いものを作り、それを縛りたいものに巻きつけ、交差した部分をほぐすようにして止める。全然緩まない。これで?と思うが昨晩、密閉された棺を最後にきっちり縛ったのはこの竹紐バンドだった。必要なものを、必要な時に、必要な量だけ作る。これは山刀を手の一部のように自在に使えるからである。

彼らは作業中、必ず砥石を傍らに置き、少しでも切れ味が落ちると刃を研ぐ。いくら名刀であっても研がなければ単なるナマクラ、ナマクラであっても研いでいればいつでもシャープな切れ味が期待できる。

■牛の解体も
葬儀期間中、毎日、水牛が一頭屠られる。ご先祖にお供えするためだ。この日は会場に来たのが8時だったので、もう牛を殺す儀式は終わっていた。牛の屠殺、解体は男の役目となっている。

初めて、牛を殺すところを見たのは数年前、メースワイのパナセリというアカの村だった。牛を殺すには刃渡り30センチ、幅5センチほどの薄刃の槍が使われる。通常は一突きで牛は倒れる。

牛は村の広場のブルーシートに横たえられた。大きな牛の周りを小柄なアカの男達がぴょこぴょこ動くたびに牛は肉塊へと形を変えていった。山刀で剛毛の生えた牛皮がまるで紙のように切られる。皮が剥がされたあと、白い腹膜が切り開かれる。中から内臓がざらざらと飛び出してくる。腹腔にたまった血液はラープを作るための貴重な食材であるから、小さなバケツを使って何杯も汲み出される。

パナセリで牛の解体を見たのは乾季の早朝のことだった。高地であるから気温は低い。
牛の臓物や肉からはもうもうと湯気が上がっていた。ああ、新鮮な肉は暖かいんだな、と奇妙な感覚にとらわれた覚えがある。

棺が安置されている部屋は高床式の2階だが、1階の土間は台所となっている。そこに肋骨付きの背骨や内臓が大量に運び込まれていた。
ここでも山刀は大活躍。男が力を込めて振り下ろす刀の刃先は確実に背骨と背骨の間に打ちこまれ、リズミカルな音と共に骨が切断されていく。肋骨も横に断ち切られ、血が付いたまま大鍋に放り込まれる。

その横ではレバー、ハツ、センマイ、ガツなどモツ鍋屋でお馴染の臓物がこま切れにされている。ハツを二つに割ると、ゼリー状の血液が垂れてきた。
辺りには血と獣の臭いが充満している。食べるのはいいがやはり「台所事情」は見ない方がいいような気がする。(続く)


写真上が楽器作りとそれに見入る子供達。下は牛肉の解体。