アカ族の葬式(7)
■女性によるご詠歌
虎男が村中を走り回っている間、葬儀会場ではアカの民族衣装に身を包んだ老女たちが6,7人、車座になって歌を歌い始めた。リーダーの老女が羽子板ほどの、表面に縦横に線が描かれた板を持っている。板に書かれた「あみだくじ」といっていいだろう。この板は2,3日前から棺の前に置かれていた。老女は線を竹串でなぞりながら、哀調を込めた声で歌う。板に書かれた線は死者が天国へ行く道を暗示しており、ご詠歌を捧げることにより、死者が迷うことなく先祖達が待つ天国へ辿りつけるように、といった願いを込めたものと思われた。
リーダーが一節唄うと、まわりの女性達がそれに唱和する。「アミダークジ、アミダークジー・・・」、「アミダークジ、アミダークジー・・・」
唄は1時間以上続いた。
ピヤさんに歌詞の内容を聞いたが、古いアカの言葉なので若い人は誰もその内容を理解できないという。合唱に参加している女性はすべて50歳以上、彼女達の輪を30代のアカ女性が見守っているが、彼女達はご詠歌を興味深く聞いているだけで自分から唄うということはなかった。
老女たちが死に絶えてしまったら何百年も歌い継がれたご詠歌も消え去ってしまうのではないか。
米国人のバブティスト宣教師にして民俗学者であったポール・ルイスが、今調べておかなければタイの少数山岳民族の文化は滅び、伝統を伝える機会を永遠に失ってしまう、と著書「ゴールデン・トライアングルの人々」で危惧したのは1980年のことだった。それから30有余年、当時、70%のアカの村が伝統的アミニズム信仰を保持していたが、今ではキリスト教に改宗した村が70%、古来の信仰を持つ村は30%以下に減っているという。
■また豚が生贄に
棺の置かれている部屋は出入り自由であるので、時々のぞきに行った。葬儀4日目ともなると部屋の壁は花輪で一杯になっている。花は奇麗であればいいらしく、日本だと結婚式用だろ、といいたくなるような赤いバラの花輪もある。また部屋にロープが張られ、そこに故人が生前に着用していたと思われる衣服がかけられた。晴れ着ばかりでなく日常用いていた衣服が多いから、見た目ところ襤褸市の店先のようだ。美しい花輪や生花に囲まれた厳粛な祭壇とは調和しないのだが、これもアカの習慣なのであろう。
祭壇を見ていたら、男達が豚を運びこんできた。前と違って体重10キロ程度の子豚だ。大人二人で充分抑え付けることができる。ちっちゃな乳房がついているところを見ると雌豚だ。もっと大きくして子供を一杯産ませればいいのになあ、などと思う間もない。簡単なお祈りが済んで、ピマが山刀を豚の胸にすいと差し込んだ。刃を抜くと血がドボドボと噴き出した。それを一滴もこぼさずに洗面器で受ける。ピーピー騒いでいた子豚はこれでぐったり動かなくなった。男たちは豚を仰向けにすると,腹部を切り裂き、山刀を腹部から喉元へさしこんだ。これで喉から肛門へ至るすべての臓物が体から切り離され、ゾロゾロと洗面器に移された。この間1分足らず。
釣りが好きで、海で釣ってきた魚をよく自分で料理した。腹の肛門のところからエラ辺りまで魚腹を切り裂き、出刃の先をエラに差し込んで臓物を引き出す。豚も魚も全く変わらない。自分が魚の下ごしらえをするより、豚をさばくほうがずっと手際がよく、手口も鮮やかだ。水を一切使わず、あたりを血で汚すこともない。
お腹がペチャンコになった豚は裏庭の焚き火に放り込まれた。魚ならハラワタを抜かれていてもピンと動くところであるが、豚は焼かれるままになっている。2,3分火にあてると黒豚の毛が焼ける。男たちはスプーンを使って毛をこそぎ取る。自分が魚のウロコを落とすのと同じ要領である。黒豚は半焼けの白豚へと変わっていった。
豚はこのあと、山刀でブツ切りにされ、骨はスープに、肉は炒めもの、揚げ物、ラープになっていくわけであるが、そこまで見届ける勇気がなかった。
■飾り物の作成
埋葬の最終日を翌日に控え、葬儀場の一角では埋葬の儀式に使う飾り物作りが始まった。何人もの男が長さ30センチ、太さ数センチの白木を削る。薄く削った薄片は切り離すことなくカールして白木に纏わりつくようにする。木を叩き切るのも薄く木を削るのももちろん山刀1本で行う。
細工された白木は、日本でいう三方によく似た台にのせられた。台には布のテントが張られた。布がたるまないように曲げた竹をうまく使ってテンションをかけている。完成した三方は棺の前に飾られた。(次回の埋葬に続く)
写真は上から二枚が「お飾り」、その下四枚は「ご詠歌」、その下は豚肉の調理の様子。