チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

アカ族の葬式 5

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アカ族の葬式(5)

■通夜
葬式2日目の朝から翌日の朝6時まで、夜を徹してピマの朗詠が行われる。葬儀のハイライトをなす部分で、ピマと遺族の体力も試される。
朝9時過ぎから単調なリズムに乗せてピマの朗詠が始まった。
PCレコーダが祭壇の上に置かれていたが、ピマ見習いの携帯が鳴った時、ピマがひょいとレコーダを取り上げた。あっ、すみません、とこの機会にレコーダを回収。やれやれ。

朗詠はずっと続くし、特に大きな儀式はないというので、一度自宅に戻ることにした。
センジャイパタナのアカ村からチェンライ市内の自宅までは約50キロ、ドアツードアで1時間の距離である。アカ族の村というと山間僻地、辿り着くのに長時間を要すると思われがちだが、北タイは山の中のこんなところまで、と思うくらい舗装道路が整備されている。

北タイの道路事情がいいのには訳がある。1970年代にラオスカンボジアの共産勢力がタイ国境を窺ったことがある。タイはそれに対処するために、いち早く国軍を侵入地区に向かわせる必要があった。またミャンマーとは以前より国境で政府軍と、あるいは麻薬犯罪集団との銃撃戦が行われていた。軍事行動を適切かつ迅速に行うために、道路が早い時期から整備されたというわけだ。タイが共産化せずに済んだのは、整備された道路のおかげだった、と書いてある本もある。道路インフラの整備は共産化の温床である貧困を減らす役割も果たしたであろう。

■レイモンドとの出会い
チェンライで一晩を過ごし、葬儀3日目の夕方にまたセンジャイパタナに戻った。
アトゥが、今朝の6時まで朗詠が続いたよ、これで葬儀の半分以上が終わった気がする、と眠そうな目で迎えてくれた。

葬儀は5日にわたる。その間、顔の広いアトゥのところにはひっきりなしに弔問客が訪れる。久しぶりに会う友人や親戚と抱き合って久闊を叙す。故人の年に不足はなかったせいか、あまり湿っぽい雰囲気はない。ハグの後はまずラオカオを一杯だ。

アトゥが大柄な外人を紹介してくれた。名前はレイモンド、55歳、チェンマイ在住のイタリア人ジャーナリストだと言う。「クリスチャニズムと少数山岳民族」に興味を持っていて、その関係でアトゥと面識ができたらしい。

どうしてチェンマイに住んでいるの、と聞くと,彼のカバーする北東アジアから南アジアの中心に位置しており、バンコクまで1時間でいけるから、という答えだった。バンコクは空気が悪いから住みたくないのだそうだ。

日本人か、コロコロ首相が替わるが日本は大丈夫かね、とニヤリと笑う。まあ、昨今の円高を見れば政治はともかく経済は問題ないようだし、それよりもお宅のベルルスコーニ首相はなぜ辞めないんだ? ウーン、イタリアの男は若い娘とうまいコトした彼を羨ましく思っているからなー・・・・

■香典とカンパ
毎日、水牛が一頭、それ以外にも豚や鶏が生け贄になる。この費用はどうなっているのか、牛はいくらくらいか、と聞いてきた。
牛も豚も体重掛ける肉の値段と言われている。たとえば300キロの水牛であれば300x150Bで4万5千B、30キロの豚ならば30x150Bで4500Bといったところだ。
レイモンドは、それはアトゥにとっては物入りだな、香典を出そう、と言って封筒に2000B入れた。
次から次へやってくる会葬者の中には封筒をさりげなく遺族に渡している人がいる。香典の習慣はあるようだ。

棺が安置されている部屋やテラスでアカの伝統衣装を着た女性が会葬者にタイマッサージを施していた。やってもらっている人はとても気持ちよさそうだ。1時間いくらですか、と聞くと「タンブンです」という。マッサージを受けた人はそれなりの代金をお棺の前に置かれたお盆の中に入れる。

また、自分がニヒルなギャンブラーと呼んでいたオイチョカブの名手は、朝、帳面を持ったサキ君の前に座って、笑顔で札束を差し出していた。儲けの大部分を葬儀にタンブンしたのだろう。

葬儀最終日にサキ君とピヤさんが封筒の中身を一つ一つ改めて、ノートに金額と芳名を書いていた。おおむね100とか200、時には500Bなどという数字もある。

出棺前に、英語、アカ語、タイ語の3ヶ国語で香典の金額と芳名が会場に発表された。マイクを握るのは昨年のブランコ祭りで司会を務めたアカの男性。
「次はレイモン、アッ、なんと2000,2000Bです。たぶんこの方は日本人でしょう」と大きな声で放送していた。1日早くチェンマイに戻ったため、彼はこの発表を聞いていない。でも会葬者の中の日本人といえば自分だけ、レイモンドに申し訳なく思った。


写真の上から3枚は「生け贄となった牛、鶏」。
その下「レイモンドとアトゥ」、「タンブンマッサージ」、「祭壇の献花」