チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

パナセリ支援 6

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パナセリ支援 6

■トラックでパナセリへ
アカ族の村、パナセリは国道118号線のメータムから山道を西に25キロほど登ったところにある。道は未舗装だが急勾配の難所に限り簡易舗装されている。でもすべての難所が舗装されているわけではない。山では時にはワイパーが用を足さないほどの豪雨が降る。山道の低いところは濁流渦巻く川となって土をえぐる。何度か雨が降ると、水が流れたところは深い溝となる。普通車は絶対に通れない。
A先生と我々兄弟はメースアイのHさん宅でアダムの4駆トラックに乗り換えてパナセリへと向かった。凸凹だらけの山道だから車は右に左に大きく揺れる。座席ではA先生の頭が右に左に大きく振れている。「象に乗ったことがありますが、丁度こんな感じですよ」と言われていたが、この日の朝チェンライに到着したばかり、という疲れのためか、車の揺れに合わせて眠られてしまった。まあそれだけアダムの運転が慎重だったということか。

■幼稚園完成式典(画像)
村に無事到着し、先ずお茶を一杯、お茶請けに出た茹で南京豆が新鮮で美味しい。また10センチほどの玉蜀黍は昔懐かしいモチキビの味だ。
まず、完成した幼稚園に行く。幼稚園の前には村人が数十人集っていた。「ファーサイ・パナセリ」とアルファベットで記された真新しいボードが目を引く。ファーサイはA先生が主宰するNGOの名前で「青空」を意味する。建物内部は壁で3つに仕切られ、それぞれ20人、計60人の園児が学ぶ。鏡の付いた洗面所、それから通いの先生の寝泊りする小部屋などを見学。建物の前で我々邦人はアカの民族衣装を着せられ、歓迎式に臨んだ。A先生、自分が簡単なスピーチをしたあと、村長がお礼の言葉を述べる。「更なる援助を期待しております」という村長の言葉を、通訳のアカ女性が顔を真っ赤にしながら通訳してくれた。まあ政治家ならそのくらいのことは言うだろう。気にする必要はない。最後に幼稚園の先生手作りの肩下げバックがひとりひとりに贈られた。アカ特有の精緻な刺繍が施され、日タイ両国と幼稚園名がステッチされたレアものだ。素晴らしいプレゼントである。

■村をあげての大宴会
式典が終わって、A先生の歓迎宴会が始まった。アダム家の裏手、100人以上収容できるテントの下が宴会場、我々の特別席にもご馳走がどんどん運ばれてくる。アダムはこの日のために豚を1頭屠ったという。野菜の他は豚肉、豚皮、豚スープ、トンチャンなど豚尽くしであったが、これがいつものラオカオ(焼酎)によく合う。村中の男たちが三々五々集って飲み食いしては入れ替わっていく。A先生がお祝いに1万B包んでくれたが、とてもそれだけでは足りなかったのではないか。我々邦人は10時過ぎに引き上げたが宴会は雨の中、深夜1時過ぎまで続いていた。朝起きてみると雨脚は落ちたがまだ雨は降り続いている。

■泥濘と戦いながらの山下り(画像)
朝9時過ぎにパナセリを出発した。運転は村の若者だ。アダムやこの日山を下りる村人が3,4人、荷台に乗り込んだ。滑りやすい山道は登りより下りの方が危険だ。前日からの雨で、更に道が悪くなっている。トラックは慎重に山道を下る。道路脇の轍でえぐれてないところを選んで2台のバイクが追走してくる。その理由はまもなく分かった。30分ほど下ると道の真ん中に泥に車輪を取られたトラックが立ち往生していた。別のトラックがロープを使って引き上げようとしているが、そのトラックもスリップしてお手上げ状態。
バイクで追走してきた男たちは我々のトラックから鍬を取り出すと泥に埋まったトラックの車輪を掘り起こし始めた。液体状の泥の下はいくらか固い。ジャッキをかませて車輪を持ち上げ、石を挟む。このトラックが動かない限り、我々も通れない。雨の中、作業は30分も続いただろうか。ついにトラックは泥濘から抜け出すことができた。しかし、ローギアで最大限の力を出し切ったのか穴を抜け出したあとこのトラックはボンネットから白い煙を吹き出して停車してしまった。
どこかで車が動けなくなる。アダムはそれを予測して、鍬と村の男を随走させていたのだ。前日に体調を壊したアダムは、この時、高熱と頭痛に冒され、トラックの荷台でビニールシートに包ったままだった。自分のトラックを使わなかったのはそういうわけだったのか。体調を押して我々に同行してくれた彼の心配りに深く感謝した。
この難所を抜け、何とか麓に無事着いた。乾季であれば40分ほどの山道を2時間近くかけて下ったことになる。

Hさん宅でA先生から抗生物質や解熱剤を処方され、少し元気を取り戻したアダムは2本の鍬を担ぎ、村の男のバイクに乗って帰っていった。