パナセリ支援 5
■支援の経緯とその後
4月から5月にかけて「パナセリ支援」と題してアカ族の村、パナセリに幼稚園の建築資金を寄付する話を書いた。パナセリを訪問し、幼稚園建設資金の提供を約束した日本人がいた、しかしそれっきり音沙汰がなくなり、その日本人を信じていたパナセリの村人が困惑している、という話が前段。この話を聞いて義憤に駆られた京都の医師、A先生が「それなら、私が半分出しましょう」とほとんど見ず知らずの自分に50万円振り込んできたことが第二段。
その後はとんとん拍子に話が進んだ。総額38万B寄付の覚書を結び、工事の進捗状況に合わせ、2回に分けて20万Bまで支払ったことはすでに書いた。
7月には、ほぼ工事が終了したという報告を受けてパナセリに行き、村人立会いのもとにパナセリの副村長、アダムに残金の18万Bプラス2万B、計20万Bを手渡した。覚書の金額より2万B増えたのは天井と雨どいの追加工事があったから、ということである。アダムは、40万Bを限度として援助しますという当初の約束を覚えていたらしい。
この時点で工事が完了したので新築祝い(バーンマイ)をするという話だった。タイでは冠婚葬祭の中でバーンマイは大きな位置を占めている。関係者ならびに関係のない人も大勢集って飲めや歌えの大宴会を開くのが慣わしである。
バーンは家、マイは新しいという意味だ。個人の家のバーンマイでもおおごとなのに、今回は村の施設の完成だ。官民合わせて相当数の人が集ることになるだろう。
しかし、この時はバーンマイはなかった。というのは、建設資金の半分を供与してくれたA先生がいないからだ。彼は年2回チェンライに来る。今度は8月に來タイするからからその時に合わせてバーンマイをやりましょうということになったのだ。バーンマイではアカ族の民族舞踊が上演され、村を挙げての華やかなものになるらしい。せっかくの機会であるからA先生にも見て頂いたほうが良い。
■この日も宴会
この日はアダムが心づくしの宴会を開いてくれた。野菜は30分前に裏の菜園で取ったもの、鳥肉は今朝、そこいらを走り回っていた鶏だ。野菜は甘く、鶏肉は歯ごたえと鶏本来の味があってブロイラの鶏肉とは全く違う。それに、この村で飲むラオカオ(焼酎)が逸品。ビール瓶やスプライトのポリ瓶に入っているから村の中だけで消費されている自家蒸留酒なのであろう。ラオカオは沖縄の泡盛と同じである。シャムのラオカオの作り方が琉球に伝わった。だから沖縄では今でもタイの長粒種のタイ米を輸入して泡盛を作っている。市販の泡盛とアカのラオカオの違いの一つはそのアルコール濃度であろう。60%以上あるのではないか。小皿にとってライターを近づけると幻想的な青い炎が皿をゆっくり覆っていってしばらく燃え続ける。
アダムの奥さんはパタヤで仕事をしていて帰れない、その代わりに親戚の女性2名が半日かけて料理を作ってくれた。そういったアダムの心遣いが嬉しい。アダムの家の軒下に大きなテーブルを置く。10人くらいは座れるだろう。テーブル一杯にご馳走が並べられ、村長、前村長、村の長老、その他有力者、及びその取り巻きなどが座る。お互い言葉が通じないものだから、始めちょっと乾杯で挨拶する程度で、皆勝手に話し、飲む。こちらもそのほうが気が楽だ。自分の好むままにすいすいと杯を重ねる。「上善如水」という越後の日本酒があるが、このラオカオこそ上善如水と呼ぶに相応しい。兄と二人で1.5Lボトルとビール瓶のラオカオをほぼ飲みつくした。するすると入り、朝の寝覚めも悪くない。素晴らしい酒だ。「上善如水」はもともと老子の言葉、素直な生き方とは水が流れる如く・・・自分の生活もそうありたい。
■A先生をパナセリにご案内
8月、A先生の來タイにあわせ、パタヤからアダムたちがパナセリに帰ってきた。今回は金の受け渡しなど事務作業はなく、ただA先生に現地を視察して頂くのが目的、勿論延び延びになっていたバーンマイも行われる、はずであったが、直前になってバーンマイは中止になった。というのは例年になくチェンライは雨が多く、幹線とパナセリを結ぶ山道が泥濘と化し、チェンライやランパーン、郡役所からの来賓が村に来ることが難しいからという。ということでバーンマイはないもののA先生の大歓迎会となった。当日の朝、大阪からチェンライに到着された先生はそのままアダムの運転する4駆のトラックで村へと向かった。山の麓、メータムでアダムはビールを10ケース、ソフトドリンクを30Lほど買い込んだ。大掛かりな歓迎会になるらしい。また、トラックの重量を増やして泥道を登りやすくする工夫でもあったのだろう。(続く)