支援の難しさ
支援と言うものは難しい。物やお金をあげると彼らをスポイルすることになる、だから彼らとの関わり方は「交流」主体で、お互い歌を歌ったり、一緒にライスカレーを食べるくらいにとどめるべきだ、という人もいる。いや、実際に困っているのだから、古着やお金を上げるのが一番だ、という人もいる。よく開発経済学で、魚をあげるより、魚の取り方を教えることが大切だ、と言われる。援助される側の誇りを傷つけず、自立に向けて手を貸す、ということだろう。支援の方法にはお互い矛盾するものも含めていろいろなやり方がある。だが常に善意が有効に生かされているとは限らない。
ある日本企業が少数山岳民族の村に寄付を申し出た。村の子供達は町の子が乗っている自転車が欲しいと思って、英語のできる高校生に援助希望のレターを書いてもらった。日本企業は要望に応えて自転車を何十台か送った。もちろん子供達は自転車をタダで貰って大喜びだった。しかし村は急峻な山間にあり平坦な道路はほとんど無い。スピードをつけて山道を降りた先は急カーブになっている。舗装されてない泥道だから、ブレーキをかけると必ず転ぶ。予算の関係で、安価な中国製自転車が提供されていたものだから、苛酷な条件下ですぐ壊れてしまった。もし、ドナーが寄贈する前にこの村を視察していたら、自転車は無理だ、まず道路を作るためにセメントと砂を提供しましょう、ということになったのではないか。でも、まあこれくらいなら罪はない、と個人的には思う。
北タイのエイズ孤児施設、「希望の家」を描いたノンフィクション、「スマイル!」(角川書店)という本がある。著者は高木智彦という20代の青年だ。希望の家で子供達と500日一緒に暮した。山岳民族支援の難しさ、それを克服する勇気、支える人々、大変感動的な本だ。この本の中に、支援を約束しながら、なにもせず、「オレが大使館のN君に話してやったから、この施設が出来た」などとホラを吹く鼻持ちならないNPOが登場する。
「誤解を恐れずに言うとすれば、国際支援に携わり、開発途上国で支援活動をする団体の代表というと、イメージ的に人格者で誰もが尊敬する善人や聖人を思い浮かべがちだが、そうでない人もいる。もちろん素晴らしい考えや理想を持った人達が圧倒的に多いのだが、なかには、ワンマン社長のように、良い意味でも悪い意味でも自己主張が激しくアクが強い人物もいる。困難も多い国際支援活動は、そうでないとやっていけない面もあるのだろうが、そのワンマン振りが、時に支援される側を振り回し、かえって迷惑をかけてしまうこともある。周りの迷惑を考えない独善的な、あるいはそこに暮らす人々の感情や習慣を無視するような押し付けの支援は、確実に存在するといっていい」(スマイル!、126ページから引用)
また、当初は素晴らしい考えや理想を持っていたはずなのに、支援活動を長く続けるうちに、支援者の輪が広がり、経済的基盤も安定し、気がついてみれば周りは自分を仰ぎ見る人ばかり、という境遇に狎れて、鼻持ちならない人物に変身してしまう人もいる。人格を変えてしまうのは金と権力だ。どこかの政党の幹事長ばかりでなく、会社で偉くなった、それも管理職になった程度で威張りだす人がいるのだから、NPOの世界でも初心を忘れる人が出てくるのは仕方ないことかもしれない。
NPOにもいろいろあることは「スマイル」にも書かれている通りだが、自分のよく行っていたPというアカ族の村にも変なNPOが来ている。アカ族は、夫婦、家族が全員真面目に働くことでなんとか生計が維持できる。若いお母さんは一家の柱であるが幼児がいては遠くの畑に行く時困る。村では保育園の設置が望まれていたが、もちろん先立つものがない。困った村人は副村長を通じて邦人のHさんに相談した。Hさんはチェンマイに住む知人からオオサキというNPO代表を紹介された。オオサキ氏はチェンマイから4時間かけてP村に乗り込む。オオサキ氏は村人から現地を案内されたあとでこう言った。「保育園建設に必要な額はXX万バーツですか。分かりました。私が全額お出ししましょう」。
しかし、大歓待を受けて日本に戻ったオオサキ氏からは連絡が途絶える。副村長からHさんには、あの話はどうなりましたか、という問い合わせがあるのだが、視察にHさんは同行しておらず、オオサキ氏の連絡先を知らない。チェンマイの知人に聞いても答えははかばかしくない。
「出すつもりがないのなら出すと言わなければいいのにね」。Hさんのボヤキは続いている。