チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

夢の家からメーサロンへ

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夢の家からメーサロンへ

現在、世界には3000を超える民族がいるという。しかし、国民国家の数は国連加盟国を見ても200前後である。民族自決を前面に押し出せば国際社会は成り立たなくなってしまう。国民国家における少数民族はどうあるべきか。
この点、国連の立場は結構はっきりしている。少数民族国民国家の一員として生きるべきだ、というのだ。その国家の教育を受け、国の指定する言語を話し、文化的にも同化することが望ましい・・・ 確かに統治する側からすれば、その方が都合がいい。一方では、民族の誇りを保つため、民族の文化、伝統を守れと言う声もある。こういった文化対立は何処の国でも、また国際社会の中にも存在する。鯨を殺すのはいけない、我々はマグロを食べないのだから、漁獲量を減らすべきだ等々・・・

話が横道にそれたが、タイ政府は積極的に山岳民族にIDカード(国籍)を与え、タイ人として遇しようとしている。但し、今の所、正式タイ人というよりは2級タイ人という扱いであろう。その差別を無くす手段が教育だ、と多くのNGOが信じている。絶対ではないが確かに機会を得るという意味では教育は重要である。ただ、タイの京大と言われるチェンマイ大学を出たタイ人でさえ、就職が難しいという厳しい経済状況下では、少数山岳民族の子弟がいい職にありつくのは簡単ではない。ともあれ、一粒の麦も死なずば、という言葉もあるとおり、出来ることを出来る範囲で、良かれ、と信じて活動していく以外にはないのだろうと思う。A先生の主宰する「ファーサイ タイ・日本」もそういったNPOのひとつだ。 

短い滞在ではあったが、夢の家の子供達はいつも笑顔で我々に接してくれた。昔、アカ族の村を訪ねた人のレポートを読んだことがある。アカの人はこちらの心が読めるようで、ちょっと喉が渇いたな、と思うとサッとコップに入れたお茶が出てくるし、水を浴びようかな、と思うとバスタオルを持ってくる。同行女性にその話をすると、まさに寮生がそのとおりで、こちらの心を推し量るように、炊飯の手伝いやら飲み物のサービスをしてくれたと言う。アカ族を日本人のルーツの一つと推論している民俗学者もいるが、日本人が持っていた思いやりの心が、アカの子供達に残っているように思った。

夢の家を後にして、チェンライからメーサロンへ行く。メーサロンは中国人の街だ。大東亜戦争後の1949年、中国に共産党政権が樹立された。蒋介石の率いる国民党は大部分が台湾に逃げ込んだが、雲南四川省に残留していた部隊が取り残された。彼らはベトナムビルマを経てタイに渡り、山岳民族に阿片を作らせ、その資金を基に軍事組織を維持し、大陸反攻の機会を窺っていた。しかし1987年に武装解除に応じ、それと引き換えにタイ国籍を取得、今では阿片の代わりにウーロン茶などを栽培して平和に暮している。

このメーサロンの山の中に中国女性のやっている麻薬中毒者更生施設がある。国道を100メートルくらい山道に入ると小さなキリスト教教会と幼稚園などの建物が見える。入所者は約50人、20名が麻薬中毒者、残りが知的障害者や少数山岳民族の子供だ。運営資金は山を切り開いて作ったお茶や農作物、養豚、養鶏で賄う。自給自足の施設だ。74歳になるという元気なおばあさん、黄玉鳳さんの案内で農場を回る。豚は数十匹いる。豚の屎尿を原料にしたメタンガス発生装置があった。黄さんはこれがご自慢で、ガスに火をつけて見せてくれた。何でもこの装置を設計製造し、無償提供してくれたのは日本人という。

見学を終えたときA先生は懐から「合力」と墨書された封筒を取り出した。こう書くと喜ばれるので、と恥ずかしそうに微笑して、封筒を黄さんに渡された。合力と言うと幕末に天狗党が富裕な商家に押し入って「合力願いたい」とお金を強請り取る場面を思い出すが、正式にはこういった寄付の時に使う言葉らしい。

この日の夜はA先生、アリヤさんたちと、テレサ・テンゆかりのホテルに泊まった。メーサロンに彼女が来たことは有田芳生の「私の家は山の向こう、テレサ・テン、10年目の真実」という本に出ているというが、読んだはずなのに記憶に無い。A先生がお持ちになったマオタイ酒、並びに自分が近くの雑貨屋で買ったポリ袋入りのラオカオ(焼酎)を飲みすぎて、深夜までアリヤさんと話しこんだのだが記憶に無い。A先生にはあちこちご案内頂き、充実した時間を過ごしたのだが、唯一つ残念だったことは二日酔いのため、朝食にテレサ・テンが激賞したというクイッティオ(タイソバ)を食べることが出来なかったことである。ファンならばやはり無理しても食べておくべきだったか。