チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

緊急事態発生 1

イメージ 1

緊急事態発生

正月3日、母は1缶のビールでご機嫌であった。夕食もよく食べた。デザートのオレンジゼリーを食べているときに事件は起こった。目をつぶり、ゼリーを飲み込もうとしているのだが表情がいつもとは違う。顔が紅潮している。兄に、大変だ、喉に詰まっているぞと言った。兄も変調に気づいて、お母さんしっかりして、と叫びながら、背中を強く何度も叩いていたが、顔色が蒼白となり、がっくりと前のめりに倒れてしまった。窒息である。

兄の叫び声に、女中のブアが飛んできた。ママサーンと絶叫する。こっちはシブリン病院に電話して救急車を、と言うのがやっとだ。それより病院に担ぎ込むほうが良いか。母を車のある外まで運ぶ。年取って体が小さくなっているといっても40キロはあるから楽ではない。とりあえず駐車場に横たえた。この間、1分ほどのことだったと思う。空気入れて、口から空気入れて、と兄に叫ぶ。ブアは大声で「助けて、助けて」と叫んでいる。向かいの家の女中さんが駆けつけて、母の胸をさすっている。それでは駄目だ。手のひらを重ねて胸の中央部に置き、強く心臓マッサージを始めた。何年か前、ドラゴンボートの仲間と一緒に消防署の救命蘇生法の講習を受けていたことが役立った。

それ程長い時間ではなかったと思う。母がゴボッと吐いた。兄に顔を横に向けて、と指示する。その時、ゼーゼーと母が呼吸する音が聞こえた。大丈夫、大丈夫だ、助かったぞ、と兄に告げる。

意識不明の母を前にしたとき、気が動転したが、そういった時でも人間、心の隅ではつまらないことを冷静に気にしているものだ。実は暮に、この家の大家が来た。バンコク郊外で働いている日本人だ。当初の約束では2年目からは家賃を2千バーツ値上げする予定であったが、長く住んでいただけると言うことを条件に家賃を据え置きにします、ということになった。母の心臓マッサージをしているとき、このままお袋が逝っちゃったら、こんな大きな家に住む必要はないな、家主には申し訳ないが引き払う必要があるな、などと考えていた。今になってもなぜそんなことを考えていたのかよくわからない。

シブリン病院は自宅から数キロのところにあり、家まで信号がないからノンストップで到着する。ブアがすぐに連絡してくれていたお陰で、5分ほどで救急車が家の前に止まった。台車に乗せられて病院職員と看護師、それにブアが乗り込む。兄と自分は車で救急車を追いかける。

緊急処置室に入ってみると、母の口にも鼻にも管が挿入されていた。点滴も始まっている。短時間の間にかなり手際よく処置してくれたようだ。30歳くらいの女医さんがブアから状況を聞いている。母はしきりに何か言いたそうに口を動かすが、管が入っているので声にならない。女医さんから吐しゃ物が気管のほうに入っていて誤嚥性肺炎を起こす心配がある、緊急処置は終ったので、ICU(集中治療室)に移して様子を見ましょう、との説明があった。

誤嚥性肺炎は多くの高齢者の死亡原因となっている。脳疾患、認知症などでモノを飲み込む力が弱くなって、唾液が気管のほうに流れ込んだり、嘔吐した際、胃の内容物が肺に入り、炎症を起こす。これが重度の肺炎、呼吸不全につながる。一応、息を吹き返したので安心したのだが、肺炎を併発する恐れあり、ということはまだ病状は予断を許さない。

母はレントゲンを何枚か撮った後、集中治療室に入った。室内中央にナースステーションがあり壁に沿ってベッドが7つ、ガラスで区切られた部屋が3つ(ベッド各1)がある。開放形式の集中治療室でナースステーションから患者の様子が一望できる。全ベッドが埋まっているわけではなく、開頭手術をした少年、目も虚ろになって、もう死期も近いようなお坊さん、交通事故だろうか、顔がはれ上がって体中包帯でグルグル巻きの子供などが入っていた。そこへドヤドヤと、我々兄弟、ブア、それに看護師さんたちが雪崩れ込んで、台車から母を集中治療室のベッドに乗せた。点滴で睡眠薬が注入され、母が寝入るのをみてこの日は家に引き上げた。

あとで分かったのだが、集中治療室に入るには所定の病院服に着替え、手をアルコール消毒し、治療室専用のサンダルに履き替える必要があったのだが、集中治療室の看護師さんたちには何も言われなかった。同室の患者さんは全員意識がない様子で、こちらからも文句は出なかったが、日本ではまず考えられないことではある。
(続く)