チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

緊急入院

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緊急入院

■送別会
日本から戻って1月ほど経った。チェンライの毎日にも慣れ、昨日と同じ日が今日も、そして明日も続くのだろうと思っていたが、人生、常に平穏というわけにはいかない。生老病死は命の姿、世の中は何か常なる飛鳥川とやら。

そろそろ弟夫婦が高松へ戻る日が近づいてきた。それで兄と4人でメーコック河畔のレストランに早めの送別会を開いた。評判のいい雲南料理店だから、中国人の団体客がバスで乗り付ける。数台のバスが停車していることもある。けれども彼らの食事時間は概ね30分間、円卓に並べられた料理を慌ただしく食べてバスに戻っていく。5分もすると片付けたばかりのテーブルへまた新しい中国人団体がやってくる。
彼らが大挙してやってくるのは18時以降であるから、我々は17時過ぎと早めに飯店に着いて食事を始めた。ここの豚足煮込み料理、アヒルローストの熱菜料理は美味しい。いつもは弟の家で和食をご馳走になっているのだが、たまの外食、雲南料理も悪くはない。何日か降り続いた雨でメーコック川もかなり増水している。行く川の流れは絶えずして、は方丈記だったかなあ、と考え乍ら、牛肉のスープを啜る。

■突然の電話
食事がそろそろ終わりとなる頃、電話が鳴った。ブアさんからだ。母に何か異常があったらしい。足を折った、すぐ帰れるか、などという。電話を切って、なにかお袋にあったから帰って来いと言ってるよ、と兄たちに説明しているところにまた電話があった。食事が終わってからでいいです、取りあえず病院の車を呼んだし、休み中だったニイさんにも来てもらったから、という。

勘定を済ませて、車で10分ほどの我が家に向かった。団地の中に入ると、正面から救急車がやってくる。もしやこれはと停車して救急車に走りよると母が中に寝かされていて、傍らにブアさんがいた。あとで病院に行くから、と取りあえず家に戻る。家の外にはニイさんの他、近所の人、たまたま散歩の途中だったという地区長のナ―さんまでいた。留守番はいいから早く病院へ、とニイさんがいう。外食にいく前に、母をブアさんと一緒に長椅子に座らせた。ベッドに戻す時何かあったのだろうか。

■大腿骨骨折
病院の救急治療室に行った。母の姿はない。レントゲン室に行っているという。暫くして母がブアに付き添われてストレッチャーで戻ってきた。左足に木箱のような添え木がしてある。うんと小柄なお姉ちゃんが来て「アイアムドクター」、彼女がレントゲン写真を見せてくれた。左大腿骨がきれいに折れている。整形の先生もやって来て、これは手術しないとダメですね。このままにしておくと痛くて大変です。

7,8年前、左足首を折ったが結構痛かった。でも母をみると痛みを訴える様子が全くない。ブアさんは大腿骨が折れる音を聞いたそうだが、その時も母は声も上げず、苦痛の表情も見せなかったという。長椅子に座り、足をベッドに投げ出した体勢を取らせ、足と肩を抱いてベッドに滑らせていくのだが、この日は足をベッドに投げ出したまま体が左に傾いて倒れ、長椅子の上でL字型の形になった。右足が左足に重なった時にポキッと折れたという。何年も歩いていないから骨が弱くなっていたのだろうか。

■術後1週間で退院?
翌朝、手術が行われ、母は集中治療室に移されていた。大腿が固定されているのかと思ったが、20センチほどの長さの脱脂綿と絆創膏が貼ってあるだけ。ここを切開して骨を繋げたらしい。腰椎麻酔だったらしく、鼻や口にパイプがつながっていたが、兄の呼び掛けに応じて心拍数と血圧が上がる。わかっているようだ。

集中治療室の中央にナースステーションがあり、そこから放射状にベッドが広がっている。一応、面会時間は決まっているが、時間以外でも入れてもらえるようだった。切開した場所からの出血はあるし、輸血もされているし、ひょっとしたら体力を失って、などと心配したが治療室2日目には声も出し、顔色もよくなってきた。執刀医の先生もよくなってきている、大丈夫、と太鼓判を押してくれた。

ブアさんがポリ袋に一杯のバナナを持ってきて、集中治療室の看護婦さんにプレゼントしていた。日本だったら絶対受け取らないと思うが、集中治療室ではそれほど忙しく立ち働く必要はないのか、看護師たちがお茶とお菓子で和んでいたから、あとでバナナも食べてもらえたことと思う。

集中治療室2日目に一般個室に移った。食事もニイさん、ブアさんが交代で与えている。1週間以内に退院というが、日本なら1月は入院するのではないか。

ところ変われば品変わる。やり方も当然変わる。でも心配だ。



写真は豚足、あとは病院と病室