チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

1年経ちました

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1年経ちました

母、兄とチェンライに来て、ほぼ1年が経過した。チェンマイ総領事に会った時、なぜチェンライに?と聞かれたことがある. 数年前から北部タイを度々訪れ、土地勘があり、邦人の知り合いが居たから、気候が良く、楽に母の介護ができそうだったから、などと答えたのだが、自分でも満足のいく説明になっていない。

適切な薬を探すため母を東京の老人病院に2ヶ月の予定で検査入院させたとき、食事を摂るのが遅いという理由で1週間も経たないうちに点滴になった。暴れて点滴の管を抜いてしまうというので特別室のベッドに縛りつけられ、ミットのような大きな手袋をはめられていた。か細い声で、「家に帰りたい」と訴える母に、病院だからね、暫らくいればよくなって家に帰れるからね、とはとても言えなかった。腕や手首に点滴の針が入らなくなれば、鎖骨や大腿部を切開して点滴箇所を確保します、点滴だけでは体に必要な栄養は取れなくなりますから、余命は3ヶ月と覚悟して下さい、と若い医者に言われていたからだ。病院は治療するところではなく、最後を看取るところなのだと思った。

病院からの坂を下りるときの、11月の明るい日差しと暗澹とした気持の奇妙なコントラストを今でも思い出す。病院が悪かったと言うことではない。それどころか、通常のルートではすぐには受け入れてもらえないところ、医学部の教授が高校時代の同級生という縁で、特別に配慮してもらったのだ。友人には悪かったが、2ヶ月の入院予定であったのを2週間で家に引き取った。家に戻ると母はいつものように箸で卵焼きを食べ、夜はビールを一缶楽しむ。しかし、夜も昼も体の不調を訴えて大騒ぎするし、手がかかるというのでデイケアも入浴が終ればすぐ戻されてしまう。月2回、2,3日のショートステイサービスがあるが、このときだけは兄と一緒に外出することができた。

このような公共のサービスは有難かったし、時折、自宅にくるケア・マネージャー、訪問看護師にもお世話になった。しかし、皆一生懸命やっているのに、介護の仕事に従事している人たちが医者も含めて、さほど経済的に恵まれず、またサービスを受ける側の満足度も高くない、ということはなぜなのだろう。高コスト社会だから仕方ない、という前に何か考えなければならないことがあるような気がする。

他にも老人施設、病院を見学し、人にも話を聞いたが、母のように騒ぐ認知症患者は手が掛かるので引き受け先が少なく、引き受けてくれても我々兄弟が満足のいく介護は期待できそうもないことが分かっていた。かといって、隙間風の入る一軒家で、母を連れてトイレや風呂場を行き来するのは楽ではない。兄は昼、夜と無く母の世話に掛かりきりだ。老老介護で共倒れになることは眼に見えていた。チェンライに行ったこともない兄に、お袋と一緒にタイに行こう、という話は唐突であったかもしれないが、あの切羽詰った段階では他に選択肢が見つからなかった。この状況からは抜け出せるかもしれない。

中西さんに決断力、計画性、語学能力があったからチェンライのロングステイ介護に踏み切ることができたのでしょうと、褒めてくれる友人もいる。でもこれは事実ではない。行けば何とかなるよ、東京の自宅は残してあるのだから、どうしても駄目ならまた家に帰ってくればいいじゃないか、それにこれから寒くなるからおふくろの世話はもっと大変になるぞ、かといってちゃんとお袋を見てくれる施設はなさそうじゃないか・・・・

とりあえず、下見ということで自分だけ12月にチェンライを訪れ、邦人の世話を受けて、住居、車の購入などロングステイの目処が立った。(実は兄もこの下見に参加する予定であったが、母を予定より早く病院から引き取り、その面倒を見る必要があり行けなかった)明けて1月の始めにタイ行きの切符を手配し、1月末にまずはチェンマイに親子3名降り立った、という次第。この一年、タイ語がまったく出来ず、女中さんが何度も辞めたりなどいろんな苦労があった。しかし、多くの人に支えられ、母も衰えたとはいえ息災にしているし、我々兄弟も快適な暮らしをしている。

友人がくれた雑誌に昨年亡くなった芸能人が出ていた。森繁や大原麗子と並んで小さく清水由貴子(49)の名前があった。欽ちゃんファミリーの一員として人気者だった。母親の介護をすべて背負い込んだ末の「介護鬱」による自死だったという。決して人事ではない。我々も更に追い詰められれば、どうなったか分からない。彼女に、「こういった方法もあったのですよ」と言って上げられないのが残念だ。

画像はメーファー・ルアン・ガーデン。チェンライ市街から車で約30分、皇太后が造成を推進した鮮やかなフラワーガーデン。イギリス式庭園です。