介護ロングステイ2年11カ月
■冬の低温で発熱
タイ人はタイにも冬はある、という。12月、1月は乾季であるが、最低気温が15℃を下回ることがあり、家畜や人間が凍死する。零下にならないのに凍死とはおかしいのだが、寒さで死ぬことには変わりがない。そうなると政府から山岳民族の村に防寒具が無償支給される。
チェンライに来たのは1月であったが、厳寒の日本から来たため、Tシャツ・短パンでも全く寒さを感じなかった。
ところが3年近くチェンライで過ごすと、すっかり体がタイ化して、朝の寒さが身にこたえるようになった。情けない話だがダウンのジャケットを着て朝食を食べている。20℃を割ると日本から持ち込んだ電気炬燵に潜りこむ、という友人を笑っていたが、昨今、最低気温が15℃以下という日には正直、暖房器具が欲しくなる。
朝の気温が15℃以下でも日中は太陽が出れば27,8℃になる。しかし曇天で日中の最高気温が20℃ちょっとにしか上がらない日が続いた。シャワーのあと体が冷えたのだろうか、母が少し熱を出した。ブアが体温計で計ってみると37度5分ほどある。86歳という高齢であるから、風邪から肺炎、臓機能不全、呼吸停止と、すぐ悪い方向に考えてしまうのだが、ブアは薬を飲ませて様子を見ましょう、という。38度になったら病院へ、39度に熱が上がれば救急車で即、入院、はいはい、わかりました、何事もブアの判断に従うようになっている。
食欲は落ちていないが、その後も2,3日、微熱が続いたので、病院に行くことにした。前に母を病院に連れていったのは7月だったから、半年ぶりの通院ということになる。電話で事前に説明してあったので、医師にすぐ診てもらえた。レントゲンを撮り、点滴などの処置をしてもらったが、特に心配することはないとのことで一安心。ただ、気温の低い時はシャワーを控えるようにという注意があった。
新しく貰った薬のおかげで熱も下がり、またいつもの生活に戻った。この分で行くと次に母と病院に行くのは半年以上先になるのではないか。
■チェンマイで「身の上話」
北タイに「ちゃーお」という邦字紙がある。その編集発行人、Yさんから介護の話を「チェンマイ・定住者の集い」でしてくれないか、という依頼を受けたのは3カ月ほど前のことだ。彼の主宰する「定住者の集い」は在チェンマイおよび周辺の邦人を対象として2008年に発足した相互扶助交流の場だ。これまで遺族年金、不動産の借り方、タイの医療保険、PC活用法など、身近で役に立つ講習、交流会を30回以上開催している。チェンライからの定期的参加者もいる。
ブログで介護ロングステイを公表している以上、我が家の見学、取材、ときには介護LSのお手伝いなどをしてきたから、Yさんの依頼はお断りできない。内々の会合で1時間半の講演ならば、ブログを快く思っていない兄も許してくれるだろう。
体験談とはいえ人前で話すのだから準備がいる。まずパワー・ポイントでレジュメを作る。スライド4枚に大見出しを入れ、それにそれぞれ4つの小見出しを書く。これが全体の話の流れとなる。そして小見出しごとに要点メモを作る。詳しすぎても簡単すぎてもいけない。
こんなことやってたなー、とウズベクで授業していた頃を思い出したが、パワー・ポイントの使い方をすっかり忘れていて、かなり時間を費やしてしまった。老化が進んでいる。
■1時間半喋る
2ちゃんねるで「チェンライはいいぞ」というスレッドがあり、14号まで続いている。見ると、自分がボケたらタイ嫁は自分の面倒を見てくれるか、といった話題で盛り上がっている。
認知症等で介護が必要な老人の割合は80から84歳で14.7%、85歳以上になると4分の1の人が要介護となる。自分がボケることを心配する前に85歳以上まで生きる算段をすることが先決だ。ストレスが認知症の原因の一つとも言われているから、あまり老後を心配しない方かいいのでは、あたりを枕に話を進める。
チェンライでの介護LSの総括として、3年、母と穏やかに暮らしております、これが総括ですと申し上げた。司会者が「介護LSのパイオニア」と紹介してくれたが、日本での老老介護に行き詰まり、切羽詰まってチェンライにわたり、穏やかな気候のもと、多くの人の援助、やさしさ、に支えられて暮らしてる、云々は繰り返しブログに書いている通り。
見栄があって老眼鏡をかけなかった為、用意したメモがよく読めず、かなり話をはしょったが、与えられた1時間半はあっという間に過ぎてしまった。
つたない話にお付き合いくださった方々に改めて感謝申し上げたい。
写真上から「母の洗髪」、「講演会場」